「命」とは何か?(その1)

「命」って何ですか?
 
この問いに対して、
しっかり自分の見解を答えられる方は、
大したものです。
 
私は、返答につまります。
科学では答えが出されていない難問です。
 
試しに、ウィキペディアを調べてみました。
わずか7行の説明。
冒頭には、こんな解説がされています。

命(いのち)とは、多様で奥深い意味を持つ概念であり、
生物の生きる力や期間、生きていく大もとの外に現れる働きのもと。

まあ簡単に言えばそうなんですけど、
私たちが「命」を語る場合、
もっと奥深いところを語りたいですよね?
 
つまるところ、「命」って何なの?
 
私たちがもっとも大切にしているものなのに、
私たちはそれがなんだかよくわからないのです。
 
ゴキブリホイホイにかかったゴキブリがいるとします。
そして彼は、今この瞬間、餓死しました。
 
餓死する1秒前と、餓死した1秒後では、何が違うのでしょう?
餓死する前には「命」があり、餓死した後には「命」がなくなりました。
 
物質的な構成は、ほぼ同じはずです。
しかし、「生きる」機能が失われました。
 
この文脈で考えると、
自律思考型のロボットがいた場合、
このロボットには「命」があると言えそうです。
 
例えば、ロボットの充電が切れてしまいました。
充電が切れる前にはロボットとして活動する機能があり、
充電が切れた後にはロボットとして活動する機能を喪失してしまった訳です。
 
ならば、充電が切れていないロボットには「命」があると言えませんかね?
充電が切れた時、そのロボットには「死」が訪れる。
 
ん?ちょっと待てよ。
「死」って言うのは、おかしいですね。
なぜなら再充電すれば、ロボットは再び動き出します。
 
私たち生命にとって、「死」とは永遠のもの。
「生」→「死」になることはあっても、
「死」→「生」になることはありません。
 
しかしこれは、私たち生命の体が有機物でできているからです。
有機物の体はとても精妙につくられていますが、
一度その活動のシステムが止まってしまうと、
デリケートな素材である有機物は不可逆的に崩壊してしまいます。
 
もし私たちが機械の体を持つようになれば、
きっと「死」→「生」が可能になるでしょう。
 
このように考えていくと、
「命」を考察する際に、「死」から辿ろうとしてもあまり意味がないように感じます。
 
「命」は、「死」の中になく、「生」の中にあることは確かです。
また、「死」の反対は「命」ではありません。
ですから「死」をどんなに考慮しても、「命」の正体には辿りつけないと感じるのです。
 
「死」ではなく、「生」の中に「命」があります。
 
なので「生」を考察すれば、「命」の「意味」に辿りつけそうです。
  
「生きる」をウィキペディアで調べてみました。
 
解説は、
「生きる(いきる)は、人や動物が、生命を保ち活動できる状態にあること。」
という一文だけでした。
 
この解説では、「命」の意味が分からないと「生きる」ことを説明できません。
ああ・・・堂々巡りです。
 
ふぅ。
・・・今回は、私の負けです。
一つのブログ記事の中で、自分なりの結論を導くことができませんでした。
 
しかし次回の記事で、更に考察を進めたいと思います。
次回「命とは何か?(その2)」で、自分なりの仮説を構築するつもりです。