「命」とは何か?(その2)

「命」とは何か?
 
前回記事から、そんなことを考えています。
前回では、自分の仮説を構築できませんでした。
 
ゴキブリホイホイにかかったゴキブリが餓死した瞬間、
彼の「命」が失われます。
 
餓死する1秒前と、餓死した1秒後では、何が違うのか?
 
彼を構成する物質的な部品は、一緒です。
ただ、これらの物質的部品を動かす機能が失われました。
彼は、「生きる」機能を喪失したのです。
 
前回、自律思考型のロボットのことを考えました。
自律思考型ロボットにとって、充電切れという現象が「死」ではないかと考えたのです。
 
ゴキブリが餓死するのと、自律思考型ロボットの充電切れは、
一緒ではないかと考えました。
 
しかし、大きな違いがそこにはあるのです。
ゴキブリが餓死したら、もう生き返ることはありません。
ですが、自律思考型ロボットは再充電すれば再び動き出す訳です。
 
ゴキブリの部品は私達人間がつくり出す部品と違って、
精妙にデリケートにつくられています。
一度機能を停止したら、部品はその機能を維持できず崩壊を始めるのです。
各部品を機能させるための温度が失われ、細胞に酸素や栄養素の供給が止まります。
 
ですから、ゴキブリにとってのエネルギー切れは「死」です。
しかし、ロボットの部品はエネルギー切れ程度では崩壊しません。
ロボットの充電切れは、生物で言うところの冬眠に近いでしょう。
 
じゃあ、ロボットにとっての「死」とは何であるか?
修復不可能なまでに破壊されたら、それは「死」でしょう。
ゴキブリだって、新聞紙などで体をつぶされたら「死」にます。
 
しかし、体を破壊されて体を動かせなくなっても、
ゴキブリにまだ「意識」があったらどうでしょう?
「意識」があれば、まだ「死」んでいないと言えます。
 
そう考えると、「命」は「体」に宿るのでなく、
「意識」または「精神」に宿るものだと言えるはずです。
 
じゃあロボットの体を破壊せずに、ロボットを殺す方法はあるでしょうか?
それは、ロボットを動かすプログラムを破壊することではないかと考えます。
ロボットの体を動かすプログラムに深刻な不可逆的なエラーが出て、
ロボットが活動を停止したら、
それはロボットにとっての「死」を表すのではないかと考える次第です。
 
もちろんプログラムのエラーを修復すれば、ロボットは再び動き出しますが、
そこにはプログラムを書き直すという事象が発生します。
 
プログラムが書き直されたロボットは、はたして以前の彼のままなのでしょうか?
 
自律思考型ロボットの彼は、
彼も自分自身で学習して自分自身のプログラムを変革してきました。
自分で自分を変革してきた彼は、中身は変われどずっと彼自身なのだと思うのです。
しかし、そのプログラムに他人の手が入った時点で、
彼は別の彼になったと、私は考えます。
  
彼の精神の「生」が、彼自身だけの力では続行不能になったとき、
そこに彼の「死」が訪れる訳です。
 
まあちょっと強引な論の展開ですが・・・
上記のように考えていくと、
「命」とは、「物質」あるいは「ハード」の中に宿るものではなく、
「精神」あるいは「ソフト」の中に宿るもののように思えます。
 
「命」とは「体」を動かす「プログラム情報」に宿るという考え方です。 
その「プログラム情報」の「意味」が失われたときに、「命」は失われます。
 
例えるなら、「やま」という情報には「意味」があるのに対して、
ここにノイズとして「か」が入ってしまい、
「やかま」という情報に変化してしまった途端「意味」は喪失する訳です。
 
物質は「数字」や「数式」に還元されるため、物質の根幹は「数字」となります。
一方で情報は「意味」に還元されるため、情報の重要な根幹は「意味」となるのです。
 
「命」とは、「生命」の(プログラムの)「意味」である。
 
私が生きている「意味」。
あなたが生きている「意味」。
 
「命」ある限り、その「意味」は紡がれていきます。