「思い出」至上主義
会社からの行き帰り、休日等、
未だにポケモンgoをやっています。
歩いた距離は、累計で860㎞です。
ポケモンを集めていると、
持てる数に制限があるので、
自分なりの優先順位をつけて、
ポケモンを捨てていく必要があります。
保管枠はすぐに一杯になるので、
ポケモンgoとは、
ポケモンを捕まえるゲームであり、
かつポケモンの優先順位をつけて、
捨てるポケモンを決定するゲームでもあるのです。
もちろん整理の方法は、
マニュアル化されていません。
各プレイヤーが自分で考えて、
独自の整理ルールを編み出している訳です。
もともとポケモンgoは、
マニュアル的情報がほとんどありません。
各プレイヤーが、
自らの試行錯誤で経験を積んだり、
あるいは自身で情報を収集して、
ポケモンgoというゲームを進めているのです。
マニュアルがないという点では、
「人生」と似ています。
私達の「人生」も、
自らの試行錯誤で経験を積んで学習したり、
あるいは書籍やレクチャー等他者の情報を収集して、
自身の「人生」を進めている訳です。
ですからポケモンgoをたかがゲームとバカにすることも簡単ですが、
使い方によっては自らの「人生」にインストール可能な知恵を取得できると、
私は考えます。
ゲームのようなこちらから働きかけることができるコンテンツは、
「人生」における自身の思考パターンをあぶり出し、
見直す機会を提供してくれるのです。
さて、冒頭のポケモン整理の話に戻ります。
ポケモンgoの目的の一つは、特定の場所の陣取りです。
日本や世界中のあらゆるところに「ジム」という、
陣取り用のエリアが用意されています。
ここをプレイヤーが自身のポケモンを使って取りあうのです。
ですから、手許に残すべきポケモンは強いポケモン。
あるいは、成長させれば協力になることが予見される素質のあるポケモン。
まずこれが、多くの人が共有するポケモン整理のマイルールだと思われます。
ただその大前提に乗る形で、各プレイヤーの様々な個性が表れるはずです。
例えば、ポケモンには戦う相手ポケモンとの相性というものがあります。
自分の住んでいる地域で、
「ジム」を陣取っているポケモンの傾向に偏りがある場合、
そのポケモンに対して強いタイプのポケモンを数多く有する方が得策でしょう。
この部分を「人生」に導入するならば、
ポケモンの有限な保管枠は、
同じく有限な自分の生きる時間に例えることができると考えます。
全てのことをやりきれない「人生」の時間の中で、
自分は何を選び取って生きていけばよいのか?
生きるためのお金を稼ぐために、
「仕事」に時間を使うことが、多くの人に高い優先度として共有されるはずです。
しかし闇雲に「仕事」に時間を使うだけでは、面白くありません。
まず「人生」の効率性を考えるのなら、
日々対峙する「仕事」に対して、
攻撃の効果を上げる方策を持つことにも時間を割り振る必要がありそうです。
それが、読書による知恵の収集であったり、
セミナーへの参加であったりします。
そうすることで、日々対峙する「仕事」ポケモンに対する相性度を高める訳です。
さて私は、ポケモン整理において、第三のルールを持っています。
そのマイルールの基準は、「思い出」の有無です。
ポケモンgoでは、捕まえた土地の市区町村が表示されます。
例えば、私が関ヶ原に旅行してゲットしたポケモンを調べると、
「日本、岐阜県 大垣市」と表示されている訳です。
私は、今まで訪れた土地で必ず1匹は捕まえたポケモンをとっておくようにしています。
すると、ポケモンの保管枠の整理においても、
「思い出」ポケモンは、ポケモン世界を生きるために必要なルールに淘汰されずに、
私の保管枠に生き続けている訳です。
そのポケモンを見ると、旅をした風景の記憶が蘇ります。
ただ強いだけの地元でゲットしたポケモンにはない効果を、
「思い出」ポケモンは有している訳です。
「人生」においても、ただただ「仕事」して稼いで終わりでは、味気ありません。
「生きる」上での効率には反するかもしれませんが、
やはり「思い出」という価値基準を持つことは重要だと思うのです。
1日24時間、1年365日、限られた時間の割り振りにおいて、
「仕事」の合間にやるべき最優先のことは、「思い出」づくりだと考えます。
オフの時間帯は、なるべく家にいない。
自分にとってお馴染みの空間の家にいたって、
「思い出」が生まれるはずがないですから。
ですから私は、ポケモンgoを片手に今日も外に出ます。
外を歩いて、様々な風景を見たり、様々な生命に出会うと、
「心」が動き「思い出」に残っていくんですよ。