「幸せ」に生きるための様々な特殊能力

「生きる」ということは決して楽なことでは、ありません。
仏教でもそう言っていますが、
おそらく「生きる」という行為そのものは、
客観的に考えたら「苦しみ」であると言えるはずです。
 
何のために生まれたかわからず、
ただ「生きろ」という「遺伝子」や「社会」の命令に従って「生きている」というのが、
冷めた目で視た私達の「人生」の正体なのだと思います。
基本、私達の「心」あるいは「魂」は、「遺伝子」あるいは「本能」の奴隷です。
 
もちろん、ご主人様である「遺伝子」は、
奴隷に「快楽」というアメもくれてやります。
しかし「快楽」に振り回されれば振り回されるほど、
人が更に「不幸」になっていくことは、ご存じの通りです。
 
しかしそれではあまりにも辛いので、
私達「魂」は、様々な「力」を駆使して、
「生きる」ことを肯定的に受け入れようとします。
「幸せ」とは、「魂」が「人生」をうまく受け入れられた状態を指すのです。
 
よく問われる哲学的疑問として、
「人生に意味はあるか?」という問いがあります。
私の、現時点の回答はこうです。
 
生まれた時点では「人生」に「意味」はない。
しかし、小石等の異物が入って苦しんだ貝が自身の体内に生み出す真珠のように、
人は「生きる」に伴い、「人生」を「意味」でコーティングしていき、
「人生」を「宝石」に変えようと努力する。
 
だから「人生」に「意味」は、ある。
「人生」の「意味」は、
「魂」が「人生」の「苦しみ」をコーティングするために生み出すものであり、
苦しい「人生」を「宝石」に変化させる魔法のマテリアルである。
 
さて、「心」あるいは「魂」は、
上記に述べた方法の他にも、様々な「力」を使って、
この「人生」を乗り切ろうとしています。
 
例えば、私はあまり持っていませんが、「見つけ出す力」。
私の友人がそうです。
どんな苦しい一日であっても、
小さなラッキーやハッピーを、その人は見つけ出します。
その人は、そうすることで日々を生きています。
その人は、本当に強い人です。
 
他にも「感謝する力」。
これまた、私はあまり持っていません。
この能力を持つ人は、苦しい「人生」にすら感謝することができるのです。
そもそも生まれたことを根本から肯定し、
「人生」全てをラッキーあるいはハッピーと捉える力を持ちます。
 
あるいは「考察する力」。
これは、私も持っています。
こういう人達は、「人生」の「本質」を理解しようとするのです。
「人生」のネガティブな側面を客観的に把握する一方、
対比として浮かび上がるポジティブな「魂」の働きにも気づくことができます。
 
そして「楽しむ力」。
この力は、「魂」が子どもの頃から有している一番ポピュラーな力だと言えるでしょう。
子どもは、2つの行動原理で動きます。
(1)「不快」「苦しみ」からは逃げる。
(2)「興味」「楽しさ」に向かって動く。
※(1)と(2)は、互いに独立している
 
この子どもの2大行動原理については、過去ブログで言及していますので、
よろしければそちらも覗いてみて下さい。
結構、人気の記事です。
 
子どもの「魂」も、「苦しみ」から逃れるだけの無力な存在ではありません。
「興味」「楽しさ」に向かおうとする力強さを既に有しているのです。
 
ですから、子どもは誰に命令されることなく主体的に「遊び」ます。
「魂」が既に、そういう存在であるからです。
 
この子どもが元々持っている「楽しむ」力。
大人になると段々失ってしまいます。
大人になることをやめたピーターパンが魅力的に映るのは、
この「楽しむ」力を失った大人達が懐郷の念を抱くからではないでしょうか。
 
私は、この「楽しむ」力をまだ十分に有しています。
道行く先で出会う、雑草や鳥たちを見て聴いて感じて、楽しむことができるのです。
ちまたで話題のポケモンgoにチャレンジして、
自分の「楽しみ」にすることもできます。
そして、この「楽しむ」力を持っている人は、
毎日の仕事すら「楽しみ」に変える素質を持っているのです。
 
私も最近その才能が開花してきて、仕事にすら「楽しみ」を見出しつつあります。
 
本来「人生」は、「不快」や「苦しみ」ばかりです。
しかし子どもは、その苦しい「人生」を、
「遊び場」に変える「魔法の力」を持っています。
 
そんな素敵な力を、大人になったらなんで手放してしまうのでしょうか?
もちろん大人になったら、子どもの頃のような幼稚な遊び方はできません。
しかし、その「魔法の力」まで手放すことはないのです。
大人になったら、大人の楽しみ方があります。
 
まあ確かに大人は、子どもの頃のように何にでも感動できる訳ではないです。
だったら、もっと感動できる素敵なことを見つけ出せばよいだけだと思います。
「世界」は、我々一個人が一生かかったって飽きることのない巨大な「遊び場」です。
 
ポケモンgoをやっているという私の記述に、
「えぇ・・」と引いている人もいるかもしれません。
しかし、それは「楽しむ力」を軽視している現れかもしれないのです。
 
自身を縛る様々な固定観念を捨てて、
自身の「幸せ」に対してもっと真剣に向き合った方がよいと思います。