「命の器」

4回前3回前のブログ記事は、
「命」とは何か?ということについての「考察」でした。
 
その際に、
電子書籍で参考文献を探していたところ、
小説家の宮本輝さんの「命の器」というエッセイ集に目がとまり、
レビューの評価も素晴らしかったので購読してみました。
 
エッセイは、
ご自身の自伝を軸にしたもので、
とても味わいのある内容でした。
 
そういったエッセイの中でも、
表題となっている「命の器」というエッセイが強く心に残りました。
 
以下、エッセイから一部引用です。

抗っても抗っても、
自分という人間の核を成すものを共有している人間としか結びついていかない。
その恐さ、その不思議さ。
私は最近、やっとこの人間世界に存在する数ある法則の中のひとつに気づいた。
「出会い」とは、決して偶然ではないのだ。

 
私も40年以上生きてきて、
この「人生」の法則に深く同意します。
 
まず八方美人というものは、
絶対にあり得ないということです。
全ての人とつながりたいという想いは、幻想でしかありません。
その純粋無垢な願いは、自らを苦しめるだけなのです。
 
そうではなくて、
「自分という人間の核を成すものを共有している」人との出会いこそ、
願うべきものであり、「幸せ」をもたらしてくれるものだと、私は想います。
 
私も若いうちは八方美人で、
人とつながれないことを大いに悩んでいたものです。
しかし、年を経るに伴い、
いつの間にか自分とつながっている人々がいることに気づきます。
そうしてそういう人達とは、
確かに「自分という人間の核を成すものを共有している」ことを感じるのです。
 
逆に自分とは絶対につながれない人も、わかってきます。
そういう人達とはつながれないし、
つながっていない方が「幸せ」なのだと、
いつの間にか確信的に気づくのです。
 
恋愛や結婚についても同様だと、私は考えます。
特に一生を共にする結婚については、
外見よりも愛嬌よりも年収よりも世間的ステータスよりも、
「自分という人間の核を成すものを共有している」かどうかが、
重要な鍵となるはずです。
 
パートナーは自分の見栄を満たすアイテムでもないし、
自分の欲を満たすアイテムでもありません。
 
道具と結婚したい人は、そうしたらよいでしょう。
しかし、二人で歩むことで大事な「何か」に気づきたいと考えるなら、
あるいは、自分の「人生」を真剣に大切に想うのなら、
「自分という人間の核を成すものを共有している」人を探すべきだと想います。
 
私の考えでは、
「人」とは、
「遺伝子(本能)」と「心(魂)」の綱引きの上に成り立っている存在です。
そして私達の本体は「心(魂)」の方なので、
「遺伝子(本能)」の企(たくら)みに乗ってしまうと、
「心」は「不幸」になると考えます。
 
私の経験と照らし合わせても、
「自分という人間の核を成すものを共有している」人とは、
真の仲間となることができるようです。
その人達のためには、
自分の資源や力をいくら提供しても惜しくありません。
 
それが自分の「命」の使い方だと想えるのです。
 
自分と同じように、
人とつながれないと悩む若い人がいたら、私はこう伝えたい。
 
心配することはない。
万有引力の法則のように、
自然と運命的に「自分という人間の核を成すものを共有している」人と
この先出会っていくはずだから。
 
宮本輝さんの言うとおり、

抗っても抗っても、
自分という人間の核を成すものを共有している人間としか結びついていかない。
その恐さ、その不思議さ。

なのです。
 
この「魂」の万有引力を最大限に発揮したいのであれば、
この「人生」の法則を理解し、
そうして「自分という人間の核を成すもの」を深めていくことが肝要でしょう。
 
この法則を理解すれば、
「人生」の本番あるいは幸福な時期というのは、
若い時期ではなく中年以降の時期なのだとわかります。
「人」として生まれた「喜び」は、
ワインのように年を経るほど芳醇に味わい深くなるはずなのです。
 
宮本輝さんは、ご自身のエッセイをこのように締めています。
「どんな人と出会うかは、その人の命の器次第なのだ。」
 
より美味しく「人生」を味わうために、
自身に与えられた「命の器」を磨き続けていきたいものですね。