小説にしたいこと

このブログのメインテーマは小説なのですが、
最近、小説というテーマにかすりもしない話ばかり書いているような気がします(笑)
 
そろそろ、また小説も描きたいなぁと思いつつ、
今日は、小説を描く前段のお話を書いていきたいと思います。
 
今私には、必ず小説にしたい事柄があります。
それは、今でも私の心に焼き付いている
ある出来事から受けとった強烈な想いです。
 
昔、会社への出社途中のある日、
私は、上空から耳をつんざくような小鳥の鳴き声を聞きました。
今までに聞いたことがないような音量の鳴き声が
絶え間なく響き渡っています。
 
何事かと上空の音を見上げると、
そこには一羽のカラスが電線にとまっていました。
でも、この鳴き声はカラスのものではありません。
しばらく眺めていると、状況が分かってきました。
 
一羽のツバメが電線にとまっているカラスに執拗に攻撃をしかけているのです。
聞いたこともない激しい鳴き声でツバメはカラスに突進をします。
しかし、カラスが大きくくちばしを開けて威嚇すると、
ツバメはひるみ、一旦その場から退避します。
しかし、またすぐに方向を切り替えてカラスに攻撃をしかけていきます。
凄まじい音量の鳴き声をあげながら。本当に何度も何度も・・・
 
私は、この光景を見て、
このツバメは、雛か卵をこのカラスに食べられたに違いないと直感しました。
そうでなければ、
小さなツバメが大きなカラスに攻撃をしかけるような無謀な行動を
延々と繰り返す理由が見つかりません。
何よりも、その親ツバメの鳴き声は、
聞く者の心に鋭く焼きつくような深い怒りと悲しみのエネルギーに満ちていました。
 
私は、その鳴き声を聞いて胸が詰まりそうになりました。
もちろん、弱肉強食の野性の世界ですから、
カラスが食事のために卵や雛を食べることは仕方のないことです。
私だって肉を食べて生きている訳ですし。
しかし、そんな割りきりとは無縁のところで、
この親ツバメの悲痛な叫び声は、私の心を締めつけました。
 
子どもを失った親の心の痛み。
親ツバメはその痛みを子どものかたきのカラスにぶつけました。
怒りと悲しみのぶつけどころはそこにしかなく、
何回も何回も攻撃を繰り返します。
私は、10分弱その光景を凝視して、その場を去りました。
私が立ち去った後も、この親ツバメは延々と攻撃を繰り返したのでしょうか・・
もしかしたら、力尽きるまで・・・
 
生命の強烈な心の叫びは、動物や人間といった種族を越え、
聞く者の心に強烈に焼きつきます。何らかのエネルギーを持っているのです。
私は、今でも目をつぶれば
一羽のツバメがカラスへ攻撃を繰り返す当時の光景と
ツバメの激しい鳴き声を鮮明に思い出すことができます。
 
その場でこの親ツバメの想いを受け取ったのは、
恐らく私だけかもしれません。
その場に居合わてその悲痛な心の叫びを聞いた私には、
その親ツバメの想いを受けとる義務があるように思いました。
この親鳥の心の叫びは、決して意味もなく消えてよいものではないのです。
だから、私はこの親ツバメの悲痛な鳴き声を決して忘れない。
子どもを失った親ツバメの絶望の嘆きを決して忘れたくないのです。
 
私は、この親ツバメの行き場のない悲痛な想いを小説にして
このブログでネットの世界に発信しようと思っています。
独りよがりな自己満足かもしれませんが、
この世界から無意味にもたらされた親ツバメの深い悲しみの想いに対して、
私は、この世界における意味を持たせたいのです。