アリとキリギリスとロックンロール

皆さんはアリとキリギリスのお話を知っていますか?
イソップ物語の中でも有名なお話です。
 
知らない人もいるかもしれないので、
念のため、ウィキペディアのリンクを置いておきます。
 
ウィキペディアによると、あらすじは以下のとおり。
 夏の間、アリたちは冬の間の食料をためるために働き続け、
 キリギリスは歌を歌って遊び、働かない。
 やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、
 アリたちに頼んで、食べ物を分けてもらおうとするが、
 「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだ?」と断られ、
 キリギリスは餓死する。
 
割と残酷ですね。
まあ、それではかわいそうだと
アリがキリギリスを助けてあげるという結末に改変されることもあるようです。
 
どちらにしても、アリとキリギリスのお話では、
「アリのように生きなさいよ」というのが教訓となっています。
 
私は子供の頃から、このアリとキリギリスのお話に違和感を持っていました。
「唄を歌うことは、そんなにいけないことなのかな?」と。
 
以前、「幸せの見つけ方(その3)」でご紹介した心理学者のヴィクトール・フランクルは、
彼のアウシュビッツの体験を綴った著書「夜と霧」の中で
このようなことを書いています。
 
地獄のようなアウシュビッツの生活の中で、
就寝前のわずかな空き時間に隠れて、
収容者達の中から、詩や唄、コメディー劇などを披露する者が出てきた。
こういった芸術芸能が
収容されているユダヤ人達の唯一の喜びであった。
(すみません。手元に本がないのでおぼろげな記憶で書いています)
 
人はパンだけでは生きられない。心にも栄養が必要なのです。
思春期などの苦しい時に、優しい音楽や勇気づけられる音楽を聴いて、
心が救われたような気になった経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。
 
唄を歌うことや何かを創作することには、結構エネルギーが要るものです。
「アリのように働かなくてよいのか?」という不安にさいなまれながらも、
キリギリスは唄を歌い続けているのです。
働くのが嫌なだけの怠け者なら、
わざわざ自らのエネルギーを使って歌うことすらしないでしょう。
私の解釈では、キリギリスはそういった単なる怠け者とは一線を画します。
 
─ここから少し妄想モードに入ります(笑)─
 
キリギリスは何故歌うのか?
想いが彼に唄を歌わせるのです。
歌わずにはいられない溢れるほどの切実な想い。
その想いとは、世界からの理不尽な苦しみにあえぎながらも
懸命に生きる生命たちの心の叫びや輝きであり、
それゆえ、唄は他者の心をも共鳴させ得るのです。
 
そう考えると、キリギリスも一生懸命生きているんじゃないかなぁと思えてきます。
むしろ、アリのような常識に縛られ常識外の思考をせずに生きている存在に比べれば、
よっぽど真剣に真面目に自身の生を全うしようとしているのではないでしょうか。
 
私は子供の頃から、アリよりもキリギリスに共感していました。
世間から押し付けられる常識に安住することなく、
本当に生きるということを、懸命に追求する彼の生き方。
そう、キリギリスの生き様にも人生の教訓は詰まっています。
 
 「覚えておいてくれ。消え去るより、燃え尽きたほうがいいんだってことを。」
  カート・コバーン(ロックスター)