ヘーゲルの弁証法

今日は弁証法という哲学のお話をしたいと思います。
この弁証法を世に示したのは、
ヘーゲルというフランス革命の頃に青年期を送ったドイツの哲学者です。
 
「テーゼ」とか「アンチ・テーゼ」って言葉を聞いたことがありませんか?
これはヘーゲルの「弁証法」で使われている言葉です。
ヘーゲルが提唱した「弁証法」とは以下のとおり。
 
弁証法」では、
「世界・事物」における「変化・発展」の「あり方・仕組み」について説明しています。
では、「世界・事物」はどのように「変化・発展」するのでしょうか?
ヘーゲルの「弁証法」では、
「変化・発展」の方法を説明するために3つの概念が登場します。
すなわち、
①ある命題(テーゼ=正)と、
②それと矛盾する命題、
 もしくは、それを否定する反対の命題(アンチテーゼ=反)
③そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)
の3つです。
全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、
それによって必然的に己と対立するものを生み出します。
そして、生み出したものと生み出されたものは、互いに対立しあいます。
(ここに優劣関係はありません)
そして、最後には二つの対立を内在したままジンテーゼという高みに統合されます。
この高みに統合される現象をアウフヘーベンaufheben(止揚)と言います。
すなわち、
この世界では「テーゼ」と「アンチテーゼ」が常に対立していますが、
この2つが統合して高まると、「ジンテーゼ」という果実が創られるという訳なのです。
 
う〜ん、なかなか説明が難しいですね。
例えば、卑近な私の例ですが・・・
①「テーゼ」人生を頑張って生きよう
②「アンチテーゼ」でもずっと頑張るのは辛い
③「ジンテーゼ」じゃあ、今日だけ頑張ろう(を毎日続けよう)
 
上記は人の心の中の例ですが、
ヘーゲルは、「歴史」も大きな弁証法の一つの過程だと言っています。
例えば・・
①「テーゼ」他国の侵略から身を守るために国を作り国民を束ねた方がよい
②「アンチテーゼ」でも、皆自由や平等も欲しい
③「ジンテーゼ」民主主義の誕生
※ちなみにヘーゲルフランス革命を熱烈に歓迎したらしいです。
 
ヘーゲルは、宇宙・大自然の生成から歴史・人間精神まで、
全てこの弁証法で説明できるとしています。
すなわち、「対立」→「統合・高度化」という流れが、
万物のベクトルになるということです。
 
人の心に話を戻します。
人の心の中の対立。すなわちそれは「葛藤」です。
ヘーゲル弁証法によれば、
人の心は「葛藤」することによって、「ジンテーゼ(果実)」を得る訳です。
そして、その「葛藤」から「統合され高度化された心の状態」になるという
「心の運動」。
これこそが「人の心」が本来備え持つ「ベクトル」であるという訳です。
 
人は、心の中に相反するまたは矛盾する様々な欲望・想いを持っています。
例えば、「怠けたい」←→「仕事をしなければならない」とか。
人々はこのような様々な「葛藤」を常に心に抱えながら生きています。
しかし人々は、例えば辛くても仕事をすることに価値を見出すことで、
自らの葛藤を乗り越え、自分の心を高められる訳です。
 
この「弁証法」の考え方からすると、
「葛藤」こそが心の肥やしになります。
だから「葛藤」を回避する行為は、停滞を生むだけとも言えます。
 
このヘーゲルの「弁証法」にのっとって考えると、
「人生」とは「葛藤」して「心」を「統合され高度化された状態」にするための
期間と言えるかもしれません。
すなわち、「人生の目的」とは「悩んだり苦労したり(葛藤)」して
「心を成長させる」ということになる訳です。
 
生きていると、私たちは様々な「アンチテーゼ」にぶつかります。
相性の合わない人、自分の価値を否定する言動、自分には理解できない考え方。
時には、これらの「アンチテーゼ」に飲み込まれて翻弄されてみましょう。
翻弄されて、葛藤に継ぐ葛藤を乗り越えて得られる答えが「ジンテーゼ」になるのです。
悩むことは本当に苦しいことですが、
もしかしたら、そこにこそ生きる意味があるのかもしれません。
 
悩んだ数だけ成長できる。
涙の数だけ強くなれる。
苦しみの数だけ優しくなれる。
それが人なのだと思います。