国のトップのリーダーシップについて

東日本大震災発生から3週間弱。
今、日本のこれからのヴィジョンを明確に見える人が、どの程度いるのでしょうか。
私は、この先日本がどうなっていくのか、さっぱりイメージできません。
まるで霧の中を難破船で彷徨っているような気分です。
周囲を見渡しても濃い霧の中。事態が改善する明るい要素が全く見えません。
 
「こっちだ!」という灯台の光が欲しいところです。
国のトップがリーダーシップを発揮して、国民に見せる希望の光。
 
オバマ大統領やアメリカの歴代の大統領がもし日本のトップだったら、
国民を鼓舞する演説を行い、
「日本はこのようにV字回復するんだ!」と道を指し示すでしょう。
そして、数年後のあるべき姿を国民に提示し、国民の心に希望をもたらすはずです。
併せて、今回の人災である原発事故の過ちを繰り返さないような方針を
しっかりと打ち出していると思います。
 
ところが、今の日本では総理はあまり国民の前に姿を現しません。
国民を鼓舞するような力強い演説もせず、
復興後の新たな日本のあるべき姿を国民に描いてみせることもしません。
そして、東電や天下り組織の原子力保安委員の責任はうやむやに終わりそうであり、
今回の大震災から何も学ばず、
今後も同じ過ちを繰り返し続けることが容易に想像できてしまいます。
 
「閉塞感」
今の日本には、この言葉がぴったりと当てはまります。
 
日本の歴史を振り返ると、
昔から、国のトップが強烈なリーダーシップを発揮することは
あまりなかったように思います。
どちらかというと、
戦国時代や明治維新等、国を刷新する勢力に英雄が現れることが多い。
体制に負けてしまった側でも傑出したリーダーは多いですね。
平将門公、大塩平八郎、天草史郎等、
人々の心を捉えたリーダーが多く語り継がれています。
 
そう考えると、日本はトップダウンだとうまく機能しない国家なのかもしれません。
日本ではトップダウンだと革新を起こせないのです。
革新は、ダメなトップの代わりにボトムが頑張って起こしてきたように思います。
 
明治維新以前の昔の日本では、
ボトムが社会を革新しようとする時は、トップとの戦争が避けられませんでした。
しかし現在では、ボトムが社会を変革しようとする時、
ソーシャルビジネス等の様々な平和的手法が存在します。
 
私は、日本の政治家や高級官僚等のトップ側にはあんまり期待していません。
日本ではボトムこそが、社会の変革の鍵であると思っています。
 
現在、日本でも既に多くの社会起業家が社会をよくする活動を始めている訳ですが、
そんな彼らの動向をウォッチして、
今後このブログでもお伝えしていきたいと考えています。
 
そういったボトムからの力強い革新をお伝えすることで、
深い深い霧の中の難破船の乗組員達に、
少しでも希望の光を提供できたらいいなと思う次第です。