愛は囚人も救う

ひなの世話をして、囚人の人たちの更生を図る刑務所が南アフリカにあります。
その効果は目覚しく、受刑者はひなの世話をすることによって、
「人生への目的意識」や「生の尊厳」を見出すことができるようになるそうです。
 
詳しくはこちらの記事を是非ご覧下さい。
一読の価値アリです。

 
この
「ひなの世話をする」→「囚人の人たちが更生する」
という素敵な法則。
この法則にはどのような原理が流れているのか、考えを巡らしてみました。
 
一見、囚人の人たちがひなを世話するという図式から、
囚人の人からひなに愛が流れているように見えます。
しかし、実際は逆もあるような気がするのです。
ひなからも囚人に愛が注がれていると。
 
ひなは、囚人の人を100%受け入れ無条件に承認します。
社会生活をしていると、他者からこのような完璧な承認を受けることはまずありません。
恋人同士でも無理でしょう。
親子関係においても然り。
そういった完璧な承認を親から受ける恵まれた子もいますが、
親に価値を否定される子が無数に存在することは周知のとおりです。
 
 「無条件の承認」=「愛」
 
では、反対に条件付の承認とはどのようなものになるのでしょう。
それは、例えば以下のような承認。
「Aさんは、仕事ができるから会社の中で周りから認められている」
「Bくんは、お金を持っているから結婚相手として考えてもよい」
「Cちゃんは、ママの言うことを聞いてくれるからかわいい」
 
そうではなくて、
「Aさんは、Aさんだから大事な存在」
「Bくんは、Bくんだから大事な存在」
「Cちゃんは、Cちゃんだから大事な存在」
というような承認が、無条件の承認です。
 
ひなは、囚人の人たちに「無条件の承認」という愛を与えていると私は考えます。
ロマンチストじゃない人は、
「ひなは餌をくれるから懐いているんだろう」と考えるかもしれません。
しかし、ひなが餌をもらうために媚を売っているのだとしたら、
そのことは、ずっと一緒に暮らす囚人の人にはわかってしまうのではないでしょうか。
「餌をくれるからDさんが好き」という状態は、最初のうちはあるかもしれませんが、
しばらくすれば「Dさんは、Dさんだから大好き」という状態になるのだと思います。
 
孤児院の子ども達は、家庭にいる子供たちよりも
他者への愛想がいいと聞いたことがあります。
それは「僕(私)かわいいから、好きになって」というアピール。
愛に飢えた子は、他者に必要以上に可愛く振舞う傾向があるそうです。
そんな条件つきの愛は不安定であり、手に入れたとしても苦しいばかり。
「Cちゃんは、Cちゃんだから好きなんだよ」と言ってあげたいものです。
 
「条件付の承認」は、「他に可愛い子がいたら浮気するかも」という感じで、
移ろいやすい「相対的な承認」であると言えると思います。
一方、「君は君だから好きなんだ」という「無条件の承認」は、
浮気のしようもない訳で「絶対的な承認」という言葉で置き換えることも可能です。
「ひなの世話をする」→「囚人の人たちが更生する」という法則が正しいのなら、
人の心が成長するためには、「絶対的な承認」が必要不可欠なのかもしれません。
 
子供の時に、親からそういった「絶対的な承認」をもらった子どもたちは幸いです。
また、自分で自分を承認できる手段を手に入れた人たちも、
心の成熟を手に入れられるでしょう。
そういったチャンスを残念ながら得られなかった人たちには、
この記事の囚人の人たちのように、自身が親となってか弱い存在を護ることで、
「絶対的な承認」を得るチャンスが回ってくるのかもしれません。
 
そんなようなことを考えている私は、
「絶対的な承認」を周りの人にできるだけ提供したいなぁと思い、
日々笑顔で人に接しようと奮闘中です。
 
しかし、この「人を幸せにする笑顔」、
私自身のエゴが邪魔したりして、まだまだ全く使いこなせていません。
見た人がほっとするような「笑顔」を、これからも追求したいなぁと思う次第です。