「成功した人間になろうとするな。むしろ、価値のある人間になろうとせよ。」

 
「成功した人間になろうとするな。むしろ、価値のある人間になろうとせよ。」
                        (アルバート・アインシュタイン
 
アルバート・アインシュタイン
言わずと知れた、人類史上最高の科学者の一人。
彼の導き出した理論により、人類は世界の真理にまた1歩近づくことができました。
 
さて、アインシュタインは様々な名言を残しています。
上記の言葉も彼の名言の一つなのですが、
この言葉は私の心に印象深く残っています。
 
アインシュタインのこの戒めの言葉にはどんな意味が込められているのか、
少し深掘りして考えてみたいと思います。
ここに登場するは、
「成功した人間になろうとする人間」と「価値のある人間になろうとする人間」。
両者を比較してみましょう。
 
人間誰しも、「成功した人間になりたい」という欲求を持っていると思います。
私だって、例えば金持ちや有名人になって、
羨望の的になったり、リッチな生活をしたりしたいという欲求はあります。
 
だけど、「成功した人間」になる道は険しく苦しいものです。
なぜなら、「成功」とは誰かの「失敗」の上に成立するものだからです。
全員が金持ちになることはあり得ないし、全員が有名人になることもあり得ない。
結局、競争に勝ったものしか「成功」を得られないのです。
これは「弱肉強食」もしくは「自然淘汰」の概念。
今まで多くの生命たちが強いられてきた苦しみのシステムです。
この太古からの呪縛から逃れられないから、人は本能的に「成功」を渇望する訳です。
芥川龍之介の「くもの糸」を思い出してください。
限られた者しか救われないとき、
人は「他者はどうでもよい。自分がよければ。」という考えになってしまいがちです。
もちろん、あなたは成功のために正々堂々と勝負するかもしれない。
しかし、ライバル達はあなたと同様に正々堂々と勝負するかどうかはわからない。
不特定多数のライバル達の中には、
不正な手段であなたを蹴落とそうとする人間もいるかもしれません。
それに、
「成功」を目指して登っている、その「くもの糸」はどこまで続いているのですか?
どんなに勝ち上がっても、そこにはまた新たなライバルが現れるのです。
こうやって考えていくと、
「成功」を目指すことは、なかなか苦しいことのように思われます。
また、例え「成功」をつかめたとしても、
次は他者から守らなければならないという性質を持つため、
「成功」は、不安や不信との親和性も高いです。
 
「成功」すると得られるものは、羨望、名誉、富、権力。
すなわち「成功」とは、外部から見た自分、
もしくは自分に恩恵を与える外部からの力のこと。
例えるならば、「成功」とは自分の服のことです。
決して自分の本体を指す概念ではありません。
 
これに対して、「価値」とは自分の本体に関する概念です。
「価値のある人間になる」ために、競争は全く必要ありません。
誰もが「価値のある人間になる」ことができるのです。
 
「価値のある人間になる」と得られるものは、他者からの感謝、信頼、好意。
すなわち、自分の内面に対する他者の評価です。
 
「成功」したとしても、「価値のある人間」になったとしても、
人はあなたの周りに集まって来るでしょう。
しかし、「成功」に集まってきた人々は、
あなた自身を見て集まっている訳ではないんだと思います。
 
このように考えていくと、
アインシュタインが言うことが、もっともなことのように思えてきます。
同じ目指すなら、「成功」を目指すよりも「価値のある人間」になろうとする方が、
多くの人にとっては、よっぽど幸せなことなんじゃないかなぁと思う訳です。
 
そして、今の大震災後の緊急事態に対して思うこと。
今の原発の非常事態を解消する立場にある人達は確かに「成功した人間」でしょうが、
果たして「価値のある人間」であるかどうか、
私は、そこのところをとても不安に思っています。