選挙は20歳から

今日は、統一地方選挙
あなたが投票した候補者は当選しましたか?
残念ながら私の投票した候補者は落選してしまいました。
 
しかし、それが民意なら仕方がないですね。
当選した候補者の方には、是非とも民意の期待に応えていただきたいと思います。 
 
さて、今日は選挙権についてお話をしたいと思います。
選挙権は、今では水や空気のように当たり前のものとなっていますが、
当然降って湧いたものではありません。
 
日本において選挙制度が始まったのは、122年前の1889年。
それまでは、強い者が弱い者を支配する封建時代でありました。
 
選挙制度はどのようにして、日本に生まれたのか?
明治維新が起きて、「よし選挙やろう!」って自然発生したわけではないんですよ。
当時は今の中国のように、選挙なんてものはありませんでした。
じゃあ誰が、先のノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏のように、
体制に対峙して選挙制度を日本に推し進めようとしたのでしょうか?
 
日本には、板垣退助という英雄がいました。
選挙制度のない日本で、
彼は仲間7人と連盟で「民撰議院設立建白書」という要望書を政府に提出し、
「民撰議院」を設立することを要望したのです。
当然のことながら、政府は反対。1874年のことでした。
しかしここから、かの有名な「自由民権運動」が始まります。
 
民撰議院設立建白書」の内容は、
イギリス人ジョン・レディー・ブラックにより
新聞『日新真事誌』に掲載されて広く国民に知れ渡ることになります。
そうして、国民各層にその考え方が次第に浸透していき、
自由民権運動の気運が高まるきっかけとなったのです。
 
有名な「板垣死すとも自由は死なず」という言葉にあるとおり、
途中保守主義者の暴漢に襲われながらも、
板垣退助自由民権運動の指導者として活動を推し進めました。
(ちなみに、自らの命を狙った犯人である相原尚褧に対して、
 板垣退助自身が特赦嘆願書を明治天皇に提出し、
 結果、相原尚褧は特赦となり、
 その後改心した相原が、板垣退助に謝罪に訪れたとのエピソードがあります。)
 
自由民権運動に対峙した政府は、どう動いたか?
自由民権運動に好意的と見られてきた大隈をはじめとする政府内の急進派が一掃され、
政府は伊藤博文を中心とする体制を固める事に成功。
結果的には、より強硬な運動弾圧策に乗り出す環境を整える事となります。
 
これに対し、大井憲太郎や内藤魯一など急進派は、
政府の厳しい弾圧にテロや蜂起も辞さない過激な戦術をも検討していたようです。
 
それにしても、この時の日本人のパワーは凄まじい。
全国で多くの活動家が立ち上がり、自由民権運動は激しさを極めます。
ついに、政府が改進党大隈の外相入閣を行うこと等で運動は沈静化。
1889年の大日本帝国憲法制定の際に、
日本の選挙制度は産声をあげることとなったのです。
翌1890年には、第1回総選挙が行われ帝国議会が開かれました。
 
日本の選挙制度にも、こんな歴史があったんですね・・・。
調べていく中で、私も選挙権のありがたさを改めて感じることができました。
 
当たり前にある「選挙権」や「自由」。
これらがどのくらい素晴らしいものか、再認識する必要がある気がします。
 
未来の日本を想い、
かけがえのないものを現代に残してくれた板垣退助さんのような明治維新の先人達。
もし彼らが、未来に負債を負わせるようなことをしている現代の日本を見たら、
どのように思うのでしょうか。
 
今度は、私たち一人ひとりが日本をよい方向へ変えていく番なのかもしれません。