ネット世界で起きた逆転現象

人間には外見と内面があります。
 
ネットが世の中に普及する前は、
人は、先に相手の外見を見て、 そして内面を徐々に知ることになります。
一つの例外もなく、外見→内面です。
この場合、外見の果たす役割は非常に大きくなります。
最初に会った時には情報も少なく、
人は第一印象によってしか他人を判断できないからです。
しかし、人の本質は内面です。
そして、内面の相性が合う人と出会うのは幸せなことです。
しかし、ネットが普及する前には
そういった馬の合う人を見つけるのが至難の業でした。
 
ところが、ネットが世の中に普及すると事態は一変します。
ネットでは、その人の外見は見えず逆に内面しか見ることができません。
ブログやmixiなどがその典型例です。
いきなりその人の日記等で内面を深く確認することができます。
 
内面だけを基準に人との繋がりができる。
これってすごいことだと思います。
外見も肩書きも年齢も性別も関係なく、馬が合う人と付き合える。
昔、コピーライターの糸井重里さんはネットで意気投合した人に、
「今度飲みに行きましょう」って声をかけたそうです。
そしたら、その相手は「いや飲みにいけない」って答えたので、
「何故?」と聴くと、
「自分は小学生だからお酒は飲めない」と返事があったそうです。
そう、ネットの世界では、そんな現実ではありえないことが起こります。
 
ところで、現実世界では
内面と外見が一致していない人々がいらっしゃいます。
例えば「性同一性障害」の人々。
内面と外見の違いに、とても苦しんでいらっしゃいます。
この人達は、どっちが本当の自分かと言うと、
当然内面が本当の自分です。
だけど、社会は外見でその人を判断してしまいます。
 
そういった現実世界の不具合を、ネット世界は補完します。
現実世界で、いわれのない差別を受けてきた「性同一性障害」の人は、
ネット世界のコミュニケーションで救われている部分もあるのではないでしょうか。
 
今の社会、ネットの世界が不健全だという論調がまだまだありますが、
人間が内面のみの存在となれるネット世界は、
見ようによっては、差別のない健全な世界であるとも言えます。
差別とは、外見(民族・年齢・性別・見た目)で行われるものなのです。
 
内面がむき出しのネット世界では、「類が友を呼ぶ」現象が加速度的に展開します。
類が友を呼び続けて、いつしか万有引力が発生し、更に同じ価値観を惹きつける。
そして、その巨大な価値観の塊は恒星のように光を発し始めます。
そう、太陽が地球に様々なエネルギーを与えているように。
ジャスミン革命がよい例でしょう。
ネット世界は、人々の価値観を集積することで、
今や現実世界を変える力を持ち始めています。