あなたはいくつの「仮面」を持っていますか?

私は「会社用の仮面」と「家用の仮面」を持っています。
他にも、まだまだたくさんあります。
 
何の話かって?
心理学の話です。
 
今回は、心理学者ユングの提唱した概念「ペルソナ(仮面)」の話をしたいと思います。
 
「ペルソナ」とは、心理学用語集によると、
社会に適応するために身につけた表面的なパーソナリティのことです。
 
「ペルソナ」は子どもの頃から、
社会に適応する必要が生じたときに形成されていきます。
例えば、親に対する「子ども」としての仮面と、
妹に対する「兄」としての「仮面」と、友達に対する「友達」としての「仮面」。
 
子どもですら複数の「仮面」を持っていますから、
社会人は社会に適応するために、もっともっとたくさんの「仮面」を持つようになります。
 
周りの人に合わせるために作られるもう一人の人格が「ペルソナ」なのですが、
その原材料は自分です。
ですから、真の自分にもともと備わっていない素養を「ペルソナ」に付加することはできません。
もし自由自在に「ペルソナ」を作れるとしたら、
皆映画の登場人物のようなかっこいい「ペルソナ」をつけることでしょう。
しかし、「ペルソナ」とはある意味人格の背伸びと言えます。
自分の人格のうち、その人にとって長所と思われるものを拡大して利用して、
短所と思われるものは覆い隠して、「ペルソナ」は作られるのです。
 
しかし、「仮面」は「仮面」。真の自分ではありません。
「仮面」はずっとつけ続けていると、息苦しくもなります。
例えば、躾の熱心な親向けに子どもが作った「いい子」の「仮面」。
親は「いい子」の「仮面」を褒めてくれます。
褒められれば褒められるほど、
子どもは「いい子」の「仮面」を分厚く硬いものにしていきます。
おそらく子どもも、「いい子」が自分なんだと思い込むようになるでしょう。
しかし、無意識はそこに息苦しさを感じます。
「いい子」である「仮面」を褒められたとしても、真の自分は褒められていない。
むしろ、「仮面」を褒められれば褒められるほど、
真の自分は承認されないという恐怖に襲われるのです。
 
「いい子」の「仮面」が分厚ければ分厚いほど、
その反動で、親の期待する像の反対像となる「悪い子」の部分の自分は行き場を失います。
親から見たら「悪い子」の部分も、本当は真の自分の一部なのに。
 
そういう時に、悪友が登場するとどうなるか。
「悪い子」の自分を認めてくれる外部の人間の登場です。
親の抑圧が強ければ強いほど、
「悪い子」の部分が10倍にも20倍にもなって「不良」という「ペルソナ」が形成されるのです。
 
「いい子」であれ「悪い子」であれ、背伸びをしすぎた「ペルソナ」は、
無意識化に大きなストレスをもたらします。
心を疲弊させるかもしれません。地震のようにある日反動がでてしまうかもしれません。
例えば、意中の男性に好意を持ってもらうように
目一杯背伸びして用意した「素敵な彼女」の「ペルソナ」。
見事、彼氏が好意を持ってくれたとしても、
粗が出ないように「素敵な彼女」を演じ続けなければなりません。
背伸びをしていればしているほど、真の自分を見せるのはプレッシャーであり恐怖です。
彼氏の好意の言葉も、真の自分への言葉ではないと思ってしまい、
嬉しさとともに虚しさが湧いてきたりします。
 
また、心理学用語集にもあるように、
例えば、会社勤めが長くなってくると、「ペルソナ」が固定化してきます。
固定化しすぎた「ペルソナ」は、真の自己と対立し個性化を妨げる要因になってしまいます。
特に日本社会の場合は、「ペルソナ」が固定化しやすく、
欧米に比べて個性化が妨げられやすい環境にあるようです。
 
自分の人格の一部を捨て去ることはできません。
いいところも悪いところもひっくるめて、
それがこの世界に登場したこの世界に一人だけのあなたなのです。
自分の人格から不都合な部分を捨て去ることはできない。これは非常に重要なことです。
捨て去ろうとすればするほど、その不都合な部分は「シャドウ」として抑制され、
同様の性質を持つ他者をも理不尽に否定して消し去ろうとします。
(詳しくは、私の以前のブログ「シャドウにご用心」をお読みください。)
大事なのは、不都合な自分も全てひっくるめて自分で承認し、
そして、それを個性として受け止めること。
大切なのは、その世界にたった一つの個性を活かして、
この世界に規格品ではない自分だけの花を咲かせることなのです。
 
あなたは、工業製品ではなく芸術品なのです。
 
また、不都合な自分をも承認し受け入れることができれば、
あなたは内面だけでなく、
外部環境である不完全な世界の全てをも愛することができるようになります。
そしてその時、世界もあなたを真に受け入れ愛するようになるのです。
 
私は、現実世界では「ペルソナ」をつけています。
会社用の「ペルソナ」、家用の「ペルソナ」。
しかし、ネット世界では「ペルソナ」を外しています。
このブログも「ペルソナ」を外して書いています。
 
海外では、ネット上でも実名で文章を書くことが当たり前のようですが、
実社会で規格品の「ペルソナ」をつけることを強要される日本社会においては、
ネット上で匿名の文章を書くことに、重要な意味が発生します。
私も、このブログは匿名で絶賛執筆中です。
 
会社や家庭で「ペルソナ」をつけ続け、
「本当の自分って何だ?」と虚しさや疲労を覚えている方々にご提案します。
ネット上に匿名で文章を書いて、ネットの世界で「ペルソナ」を外しましょう。
背伸びをしなくてもよい世界。
さあ、気ままに伸びやかに文章を書いてみましょう。
「仮面」を外してまずは深呼吸。そしてストレッチです。
長年の「仮面」生活で忘れていた「真の自分」を思い出しましたか?
思い出したら、「真の自分」をネット上で発揮してみましょう。
きっと、心地よい汗をかくことができると思います。
 
お陰さまで、私はブログを書き続けることで、
「そんなに悪くないじゃん」と自分を承認することができ、
「真に生きている」という実感を得ることができています。
 
 「ペルソナ」をつけたまま人生が終わるのはイヤじゃないですか?