「孤独力」の本当の意味

以前、自分の才能を発見するためのツールとして、
「ストレングス・ファインダー」というツールをご紹介しました。
(紹介したブログはこちら
この「ストレングス・ファインダー」は、
日本経済新聞出版社の「さあ、才能に目覚めよう」という書籍を購入することで、
試すことができます。
 
この「ストレングス・ファインダー」でわかることは、
テストを実行した人の5つの才能です。
 
で、導き出された私の5つの才能の中に「内省」というものがありました。
以下は、「内省」の解説の抜粋です。
 「あなたは考えることが好きです。
  (中略) あなたは一人の時間を愉しむ類いの人です。
  (中略) ある意味で、あなたは自分自身の最良の伴侶です。」
 
う〜ん、これ本当に強みなんでしょうか?
要は、「内向的」ということですよね。
 
ただし、この才能、独房に入ったときには役に立つようです。
本には、この「内省」の才能を持つ元政治犯の話しが紹介されていました。
いわく・・
「刑務所では、懲罰のために独房に入れられることがあって、
 ほかの服役者はみんないやがってたけれど、私はちがってた。
 みんな孤独に耐えられなくなるわけだけど、私にはそんなことは一度もなかったね。」
 
うん、これは私も自信を持って言えます。
私が独房に入れられても、誰よりも耐えられるでしょう。
世界には、考えることが無限にありますからね。
 
ただ、この「内向的(内省)」という気質。
常世界では、あまり役に立たない気がします。
「外向的」な人に比べて、他者とのコミュニケーションも苦手ですし。
 
しかし、この「孤独力」とも言える「内省」は、
一つ、重大な利点を持っています。
上記の「内省」の解説文の「私は私自身の最良の伴侶」という部分。
これは、他者からの愛がなくても、生きていけるということ。
あたかも、水がなくても生きていけるサボテンのように。
 
私も含めて多くの人は、「心」を維持するために外部からのパワーを必要とします。
そのパワーとは、家族や恋人からの愛情かもしれないし、
外部の反応から満たすことのできるプライドや自尊心かもしれない。
はたまた、人の役に立って得られる感謝の気持ちかもしれない。
 
そして、上記のような他の人々のお陰で得られたパワーを活用して、
今度は自分がまた別の人々の心に何らかのパワーを与えるという循環ができあがる訳です。
 
「人の価値とはその人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる」
これは、アインシュタインの言葉。
私は現在、人の「生きる意味」はこれではないかと考察しています。
(この言葉を紹介したブログはこちら。)
 
自分もそうでしたが、
「内向的」な人は、「外向的」な人に憧れます。
なぜなら「外向的」な人は、現実社会に素敵なネットワークを築けるから。
じゃあ、「内向的」な人が何も得られないかと言うと、そんなことはない。
「内向的」な人は、自分自身との対話を重ねることで、
しっかりと精神世界に根を張っていきます。
そして、ついには「孤独力」という果実をつけるのです。
 
もし人の「生きる意味」が、
アインシュタインの言うように「与えること」だとするならば、
他者からエネルギーを得る動物的な「外向的」な人よりも、
自身でエネルギーを調達する植物的な「内向的」な人々の方が
「与える」力が優れているので、「生きる意味」を全うしやすいと考えられます。
 
そう考えていくと、この「内省」という「才能」もそんなに悪くない気がします。
せっかく発見できたこの「才能」、磨いて宝石のように輝かせてみたいものです。
この「才能」を活かせば、
他者への心理的依存をゼロに近づけ、「心」の状態を常に安定させ、
そして、「与える」ことに特化・集中することができるはず。
死の間際、
「おっ、こんなに与えることができたな」とにんまりできたら、最高の人生でしょうね。