「バトル・ロワイヤル」もしくは「蠱毒(こどく)」

「これから皆さんに殺し合いを始めてもらいます」
 
これは、「バトル・ロワイヤル」という小説の中で、
無人島に連れ去られた中学生42人に対して、担当教官が宣言した言葉です。
この「バトル・ロワイヤル」、2000年には映画化もされました。
当時、結構はやりましたので、
映画で観たり小説で読んだりした方も多いのではないでしょうか。
(ちなみに、ウィキペディアこちら
 
内容は、無人島で普通の中学生が殺し合いを強要されるという
ショッキングかつ悪趣味なものです。
殺し合いをして、生き残った一人のみが家に帰れるというルール。
「良心」を持った子ども達が、最後には殺人をすることになる訳です。
 
この小説を読んでいて、私はあるものを連想しました。
それは、「蠱毒(こどく)」。
蠱毒」とは、古代中国や日本で広く用いられた呪術です。
ウィキペディアこちら
どんなものかと言うと、
「器の中に多数の虫を入れて互いに食い合わせ、
 最後に生き残った最も生命力の強い一匹を用いて呪いをする」という術式だそうです。
虫は、昆虫だけでなくクモ・ムカデ・サソリなどの節足動物
ヘビ・トカゲなどの爬虫類、カエルなどの両生類なども、対象となっていました。
平安時代頃の日本では、「蠱毒」は法律で厳しく禁止されており、
実際に、769年に県犬養姉女らが不破内親王の命で蠱毒を行った罪で、流罪となりました。
 
この「蠱毒」、中に入れられた虫からしたら、とんでもない話ですよね。
人間の下らない理由のために、殺し合いをさせられる訳ですから。
 
ちなみに「バトル・ロワイヤル」の方も、殺し合いをさせられる理由は非常に下らないものです。
 
バトル・ロワイヤル」も「蠱毒」も本当に悪趣味。
だけど、この悪趣味さは、実は私たちの身近にも存在しています。
あまりにも当たり前にありすぎて、普段意識はしていませんが。
 
それは、「弱肉強食」という設定を持つこの「世界」です。
約40億年前、この「世界」に誕生した「生命」は、
限られた資源のために、殺し合いを始めなければなりませんでした。
「これから皆さんに殺し合いを始めてもらいます」と宣言された訳です。
 
そして、この「世界」という「蠱毒」の器の中、
40億年の殺し合いの果てに、「生命」は進化を続け、
とうとう「人類」という最強の種族が登場しました。
 
この「人類」という種族は殺し合いの勝者にふさわしい凶悪性を持ち、
「世界」の中の「生命」をほぼ破壊できる兵器を持つに至りました。
一方、「人類」は別の顕著な特徴も持ち合わせていました。
それは「優しさ」と「知恵」。
「世界」が強いた「弱肉強食」という鉄のルールを覆し、
「弱者」も幸せになれるような仕組みを創り始めたのです。
 
小説「バトル・ロワイヤル」の主人公は最後まで生き残り、
この理不尽な「殺し合い」を強いた体制に一矢を報います。
 
私たち人類も、仲間同士で殺しあったり苦しめあったりしている場合ではありません。
ここまで進化した私たちには、もっと他にやるべきことがありそうです。
想像してください。
あなたが、もし「蠱毒」の器の中の虫だったら。
あなたは殺し合いを続けますか?
それとも、器から出て術者の手を噛みに行きますか?
 
私は、術者の手を噛みに行って、下らない術をやめさせます。
 
この世界においても同様です。
私は、この「弱肉強食」のルールを打ち破り、
「弱者」も「強者」も生まれたものは皆幸せになれるような社会に向けて
人生のエネルギーを費やしたいと思います。
「弱者」が不幸になることの愚かさは、
ストリートチルドレン民族浄化の例を見ればわかるでしょう?
「弱者」だから苦しむのは当然という考え方は、もう捨てないと。
「弱者」も、この理不尽な世界で苦しむ同じ仲間です。
 
そろそろ私たちは、「人類」が「蠱毒」の虫であることに気づかなければなりません。
本当の敵は、「人類」の中にはありません。
本当の敵は、この理不尽な「世界」そのもの。
私たち「人類」の「存在意義」は、
この「世界」の理不尽なルールを無効にすることにあるのだと思います。