大谷吉継と石田三成

大谷吉継という戦国武将をご存知ですか?
 
豊臣秀吉の腹心の一人であり、
後の敦賀城城主でもあります。
彼はライ病(ハンセン氏病)を煩い、
顔を白い頭巾で隠して戦った戦国武将としても有名です。
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豊臣秀吉
「大谷紀之介(吉継)に100万の軍勢を与えて、自由に軍配を指揮させてみたい」
と言わしめた名将です。
 
ところで、大谷吉継石田三成との間には、深い友情が存在したとされています。
固い友情が結ばれた背景には、以下のような出来事があったようです。
 
 天正15年(1587)大坂城で開かれた茶会において、
 招かれた豊臣諸将は茶碗に入った茶を1口ずつ飲んで次の者へ回していきました。
 この時、ライ病(当時の不治の病)であった吉継が口をつけた茶碗は誰もが嫌い、
 後の者達は病気の感染を恐れて飲むふりをするだけでしたが、
 石田三成だけ普段と変わりなくその茶を飲み
 気軽に話しかけてきた。
 (一説には吉継が飲む際に顔から膿が茶碗に落ち、
  周りの者達はさらにその茶を飲むのをためらったが、
  三成はその膿ごと茶を飲み干し、
  おいしいので全部飲んでしまったからもう一杯茶を注いでほしいと
  気を利かせたとされる)、
 その事に感激した吉継は、
 石田三成に対して大きな恩義を感じたとのことです。
 
そして、天下分け目の関が原の戦い。
徳川家康とも近しい関係にあった大谷吉継ですが、
彼は、西軍として徳川家康率いる東軍と対峙することになります。
彼自身は、西軍に勝ち目なしと予測していましたが、
石田三成と共に戦う道を選んだのです。
 
彼は、東軍に寝返った小早川秀秋に対して、
かねてより小早川隊に備えていた直属の兵600で迎撃、
兵力で圧倒する小早川隊を一時は500メートル押し戻し
2、3回と繰り返し山へ追い返したといいます。
しかし、他の寝返った武将の攻勢も受け、彼の隊は壊滅。
大谷吉継は戦場にて自害し、享年42歳にて亡くなったそうです。
 
私は、この話を聴いて、
「人生において大事なものとは何か」ということを考えさせられました。
 
自身の命よりも優先する、人生における真の宝とは?
 
私は、茶会のエピソードから、
人生において真に大事なものは「優しさ」であると見ています。
相手の弱みを受け入れ相手の苦しみを理解する「心」に出会えたとき、
それは「生きていてよかった」と思うほどの感動を呼び起こします。
金や権力や名誉なんて、この宝に比べたらゴミのようなものでしょう。
 
「優しさ」とは、人を「モノ」として見るのでなく「ヒト」として見ること。
人を「モノ」として見る人は、
相手の利用価値や強みしか見ようとしません。
しかし、人を「ヒト」としてみることができる人は、
相手の苦しみと弱みにも目をむけ理解しようとするのです。
 
正直、実際の日常生活で、
このような「優しさ」に出会えることは、
ほとんどないと言ってよいでしょう。
皆、自分の苦しみのことで精一杯だからです。
会社等の組織も、ほとんどは組織のメンバーを「モノ」としか見ていませんし。
 
欲しくてももらえないものなら、自分で創り出して提供するしかありません。
 
人の「弱み」を受け入れて、決して人を軽んじず。
「弱み」に悩む人がいれば、行って「大丈夫だよ」と安心させてやる。
人の「苦しみ」を理解して、決して人を傷つけず。
「苦しみ」に苛まれている人がいれば、行って「一緒に苦しもう」と励ましてやる。
そんな人間に、私はなりたいなと思います。