「音楽」、現実世界に存在する魔法

「音楽」が嫌いな人って、いるでしょうか?
もちろん、「私、演歌はダメなんです」という感じで、
あるジャンルの「音楽」が嫌いという人は、いるかもしれませんね。
でも、「音楽」全般がダメだという人に、私はあったことがありません。
 
「音楽」は、人類に共通して「快」をもたらします。
国によって言葉や文化は違えど、「音楽」は人類共通。
例えば、あなたはアフリカの民族音楽に心を躍らせることができるし、
ヨーロッパ発祥の管弦楽、中国の二胡も素敵な音を奏でます。
私は、人の声による音楽が好きで、上質なゴスペルを聴くと心が震えます。
人類共通の価値をもたらす「音楽」は、
ビートルズの「Imagine」やマイケル・ジャクソンらの「We Are the World」のような形で、
人類全員に平和や共存を訴えるツールとしても最適です。
 
例えば、「We Are the World」を聴いたとき、
私は英語の歌詞の中身はあまり理解できなくても、
そのメロディーによって、心が温かい気持ちに満たされます。
 
まあ、平和利用だけではなく、
軍隊に楽団があることからわかるように、
軍歌として人々を戦いに駆り立てるような使い方をされたりもしますが。
 
また、音楽は日常に溢れています。
あなたは、音楽に接しずに一日を過ごすことができるでしょうか?
音楽の伴わないテレビCMは、ほとんどありません。
電車の発車の合図も最近はメロディーだったりします。
「音楽」は、人類にとって切っても切れない存在なのです。
世界中のどんな民族や部族にも、彼らの「音楽」が存在しますからね。
 
「音楽」は、当たり前に人間社会にあるので、
その効果のすごさを感じることは、あまりないかもしれません。
だけど、「音楽」は「魔法」と言っていいくらい、すごいものなんですよ。
なぜなら、「音楽」は科学では解明できない何らかのメカニズムで、
現実世界に実際に変化をもたらすことができるからです。
優れた「音楽」は、人々の心に変化をもたらします。
「音楽」は、人の心を勇気づけることもできるし、人に涙を流させることもできるのです。
どんな慰めの言葉よりも上手に、「音楽」は人の心を癒せます。
どうでしょう?「音楽」は魔法のように不思議ですごいものだと思いませんか?
 
更に「音楽」のすごさを説明していきましょう。
モーツァルトが胎教に使われているように、
まだ言葉を知らない赤ちゃんの「心」にも、「音楽」は変化をもたらすことができます。
また、乳牛にモーツァルトを聞かせると乳の出がよくなり、
トマトにモーツァルトを聞かせるとトマトが甘くなるというような話もあります。
それから、ザトウクジラは唄を歌います。
ザトウクジラの唄を聴きたい方は、National Geographic「ザトウクジラの唄」をどうぞ。

そう、「音楽」は、人類という狭い枠ではなく、
もしかしたら「生命」全般に対して影響を与えられる可能性がある訳です。
 
「音楽」は、「心」で感じるものです。
理屈抜きで、直接「心」を震わせます。
以前のブログで、「私」という意識の正体はクオリアであり、
何かを感じている自分のみが科学で説明できない「私」の部分であるというお話をしました。
「音楽」と「心」の関係には、科学では説明できない何かがあり、
もしかしたら「私とは何か?」という問題にも大きく関わっている可能性もあります。
また、もし植物にも「音楽」が効果をもたらすのであれば、
もしかしたら植物にも、「心」もしくは「私という意識(クオリア)」があるのかもしれませんね。
 
「音楽」とは、音の集合体であり、単なる空気の「振動」であると言えます。
しかし、単なる「振動」と言っても、あなどることはできません。
現代の物理学によれば、世界の全てが「振動」であると言えるのだそうです。
光は、「波(振動)」であり「物質」であるという、常識では理解できない性質を持っています。
このような奇妙な現象から、量子力学がスタートした訳ですが、
この量子力学によって、
光だけではなく物質を形成する原子自体も「波(振動)」であることが、わかってきました。
また、エネルギーも「振動」そのものです。
例えば、熱は分子の振動の度合いによって決まります。
「振動」は、世界を構成する根源的で基本的な存在なのです。
 
このように考えていくと、
「音楽」は単なる空気の「振動」ではありますが、
その「振動」のパターンによっては「魔法」のように、
「心」のような不可視の領域に対して影響を与えているメカニズムがあるという推理も、
成り立つような気がしてきます。