「ポイ捨て」で捨てているもの


 
猛威を振るった台風15号
東京では、夜間ほとんどの電車が止まり、
先日の東日本大震災の時のように、多くの方が帰宅難民となりました。
とにかく、今までに体験したことのないような大変な風と雨でした。
 
台風が来ると、東京では「壊れた傘」が地下鉄の階段等あちらこちらに放置されます。
特に今回の台風15号の風の強さは前代未聞で、
なんと東京の渋谷区の資材置き場には、「壊れた傘」が8トンも集められたそうです。
(詳しくはこちらの記事をどうぞ)
 
ビニール傘は、1本あたり400g程度なので、なんと2万本の傘が集まった計算。
言い換えれば、2万人が傘を「ポイ捨て」したということになります。
 
確かに、「壊れた傘」は持っているだけで邪魔だし、街には傘を捨てる場所もないです。
 
だけど「ポイ捨て」は、いかがなものかと思います。
なぜなら「ポイ捨て」すれば、
必ずそれを「片付けて下さる」方がいらっしゃるからです。
 
「ポイ捨て」をする人々は、
それを片付ける人のことをちゃんと想像しているのかなぁと疑問に思います。
はたして、片付けて下さる方々の顔とか汗とかを想像できているのか。
 
まあ、人間それぞれの価値観なり正義がありますから、
「ポイ捨て反対」とブログに書いたところで、ただの私の感想に過ぎません。
もしかしたら、各自が家で「壊れた傘」を処分するよりも、
プロに任せた方が能率的なのかもしれない訳ですし。
 
しかし、一つだけ言えることがあります。
それは、「ポイ捨てをする人たち」は、知らず知らずのうちに
「掃除して下さる方々」に「借り」を作っているということです。
言い換えれば、「掃除して下さる方々」は間接的に「ポイ捨てする人たち」に
「後片付け」というサービスを与えて下さっている訳です。
 
日本で最も修行が厳しいと言われているお寺「永平寺」では、
修行者は毎朝「精神力」と「体力」を酷使して
500段以上ある階段と900メートル以上ある廊下を「掃除」します。
このようにお寺の修行に利用されていることを考慮すると、
「掃除」という行為は、もしかしたら最も端的に
他者への「奉仕」を表す行為なのかもしれないなと思ったりします。
限界まで「精神力」と「体力」を使って「掃除」をする意味は、
その廊下を歩くかもしれない見知らぬ誰かに、ただ気持ちよく歩いてもらうため・・・
 
私も最近会社のトイレを掃除する機会が多いのですが、
心を込めて丁寧に「掃除」すると何となく「充足感」を得られるような気がします。
 
逆に「ポイ捨て」する度に、なくなっていくものがあるかもしれないと思います。
「壊れた傘」と一緒に、
「想像力」とか「優しさ」とか、そういったものも一緒に捨てられているような気がするのです。