トルコと日本に見る、目指すべき理想的な国家関係


 
トルコ東部を23日に襲った大地震による死者は28日までに570人になり、
負傷者は約2,555人に達したそうです。
今年はなんで、こんなに悲しい出来事が多いのでしょうか。
亡くなられた方々に心よりご冥福をお祈りいたしますともに、
負傷された方々に心よりのお見舞いを申し上げます。
 
実は今、日本のトルコ大使館の郵便ポストに、
現金の入った封筒と支援のメッセージが投函されているそうです。
そして、その多くは匿名なのだといいます。
詳しくは、トルコで報じていただいた記事を翻訳したこちらのページを是非ご一読下さい。
きっと上記の記事を読まれると、温かい気持ちに包まれると思います。
 
この記事によりますと、
トルコ大使館のポストに、お見舞いや哀悼のメッセージの入った現金入りの封筒を、
そっと残し、立ち去っている方々がたくさんいらっしゃるそうです。
中には、福島の方から見舞金と以下のようなメッセージが。
「ヴァンの地震で亡くなられた方々のご家族に、心からのお悔みを、
 また、地震にあわれた皆さんにお見舞いを申し上げます。
 3月11日におきた日本での大惨事のとき、
 トルコからたくさんの支援物資と支援金をいただきました。
 どうもありがとうございました。
 今度は、私が皆さんに手助けをしたいと思います。(男性、福島在住)」
 
大使館のポストに投函された金額は数千ドルにのぼり、今も増え続けているそうです。
そして、トルコ大使館広報担当のシナン・キュリュンさんは、
今回の出来事を受け、以下のようにおっしゃっていただいています。
「この状況が、トルコと日本の国民どうし、国どうしの間に生まれる、
 悲劇の時の助け合いの気持ちの端的な証拠であるとし、
 これは本当に手本となるべきことだ」
「在東京トルコ大使館の郵便ポストに届いた封筒の一部は、
 原発事故の影響を受けている福島や、
 地震の被害の大きかった東北地方から来たものだという。
 M9.0の地震ののち、まだ自分たちの傷もいえていないこの地方の人々が、
 トルコの支援に感謝し、お返しを送ってくれていることに対し、
 大使館員たちはとても感動している。」
「大使館の郵便ポストは通りに面しており、
 日本の人たちは封筒を投函して立ち去る際、あまり顔をみられたがらない。
 この行動も、自分たちを感動させる。」
「日本の子供たちも、
 トルコと日本の旗を書いた紙にお金を包んで郵便ポストにいれていった。」
 
私はこの記事を読み、とても温かい気持になりました。
困っている人々に手を貸すという行為は、涙が出るほど温かい。
現在、日本の市民からの支援金は10万ドルを超えたそうです。
 
日本政府も3,000万円と物資をトルコに提供するようです。
国の外交努力も大切ですが、
今回は、「草の根」の市民の方々のお心遣いが際立っています。
例え一人ひとりの金額が小さくても、
「草の根」の市民の方々からの温かい気持ちは両国間の友好関係に、
政府の実施する外交よりも大きな外交成果を生み出しているように見えます。
今回の記事を読まれたトルコの方々に、
支援された日本の方々の温かい気持ちがきっと届くはず。
思えば、東日本大震災のとき、
カンボジアの地雷原の村の方々から義捐金を頂いたことがありました。
詳細は、こちらの記事をどうぞ。
私はこのニュースを見て、
この村の方々に深く感謝するとともに、とても心が温かくなったことを覚えています。
 
さて、今回の記事がネットで紹介され日本国内で大きな反響を呼んでいます。
この反響により、きっと「草の根」の支援の流れは加速するでしょう。
「草の根」の力でトルコとの絆を深め、理想的な友好関係を築けたらよいなと思います。
トルコ大使館広報担当のシナン・キュリュンさんがおっしゃているように、
世界のお手本となるような国同士の関係を。
 
実は、日本とトルコは昔から深い友好関係にあります。
日本とトルコとの、つながりを知らない方は、以下の記事を読んでみてください。
 
エルトゥールル号遭難事件
 
 1890年(明治23年)9月16日紀伊大島の樫野崎にて台風による強風で
 エルトゥールル号が沈没。
 587名が死亡したが、
 荒れ狂う台風の中を大島村樫野の村民達が自分たちの命の危険を顧みず
 救助に向かい69名を救出した。
 その後、明治天皇は当時貴重な最新鋭戦艦二隻をトルコに派遣し
 生存者を無事送り届けた。
 また山田寅次郎が遺族のための義捐金を新聞で呼び掛け
 集まったお金を手にトルコに渡り手渡した。
 
このエルトゥールル号遭難事件は、
今でもトルコの小学生の教科書に記載されているそうです。
そして・・・
 
 1985年3月17日、
 48時間以降イラン上空を飛ぶ航空機は無差別に攻撃するとフセイン大統領が突如宣言。
 各外国人はそれぞれの国の飛行機にてイランから緊急脱出を図った。
 しかし日本政府の判断の遅れ等から
 215人の日本人が期限までの脱出が困難となった・・・。
 各国自国民の救出で限界の中
 トルコのイスメット・ビルセル(Ismet Birsel)駐イラン大使が調整に奔走。
 日本大使の要請に唯一応じ、トルコ人500人の脱出を車に変更し
 自国の救出機に日本人を優先して乗せてくれたことで危機を逃れることができた。
 昔、和歌山沖で遭難したエルトゥールル号救助に際し
 山田寅次郎他、日本から受けた恩義に報いるという意識があったそうだ。
 トルコ航空の救出機のクルーも
 危険を顧みず自ら日本を救いに向かってくれた志願者である。
 
国同士がいがみ合う時代は、もう終わり。
トルコを見習って、相手の幸せを想う国家間の関係が
世界に広がっていったらよいなと思います。