「国境なき医師団」から手紙が来ました

国境なき医師団」から、私宛に手紙が来ました。
内容は、「ソマリア緊急支援のお願い」という寄付募集です。
こういった寄付募集の類は、支払先の信頼度を慎重に判断しないといけませんが、
この「国境なき医師団」は無条件に信頼できます。
 
国境なき医師団」は、
1999年にノーベル平和賞を受賞した民間の医療・人道支援団体です。
その名のとおり、医師や看護師を始めとする海外派遣スタッフが、
現地スタッフとともに、援助活動を行っています。
 
今現在、ソマリアがかつてない深刻な人道的危機に直面しているようです。
頂いた手紙の中に、
国境なき医師団」の小児外科医の黒崎伸子さんからのメッセージが入っていました。
 
本来は著作権の問題があるのかもしれませんが、
今回の人道という趣旨を鑑み、
黒崎さんのメッセージをこちらのブログに転記させていただきます。
「愛の反対は憎しみではない 無関心だ」というマザー・テレサの言葉にあるとおり、
他者の苦しみを知ることにも大事な意味があると思います。
しばらく、お付き合いください。
 
(以下、転記)
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はじめまして、「国境なき医師団」の小児外科医の黒崎伸子と申します。
 
この度は皆様に、アフリカ東部のソマリアという国で起きている惨状を
どうしてもお伝えしたいと思い、筆をとらせていただきました。
 
 今年、日本は東日本大震災という大きな災害を経験しました。
 私も震災翌日から被災地での医療援助活動に加わり、
 被害状況を目の当たりにしました。
 震災からの復興はまだ続いています。
 しかし世界には、今この瞬間、
 今日を生きのびるための援助を必要としている人々がいるということを、
 医療従事者として忘れることはできません。
 
ソマリアは今、かつてない最悪の人道的危機に直面しています。
 
 ソマリアでは、医療活動の現場で活動する国境なき医師団のスタッフが毎日、
 つらく悲しい患者さんの話に耳をかたむけています。
 そこにはあまりにも多くの悲劇があります。
 助けを求める数え切れないほど多くの人々が危険をかえりみず、
 隣国ケニアエチオピアへ脱出しています。
 すでに国を出るときに栄養失調を患っている人も多く、
 長く危険な道のりは、小さな子どもにとってはさらに過酷な旅となります。
 
ある日、160km離れた町から国境なき医師団の診療所に運ばれてきた1歳の男の子は、
ひと目で重度の栄養失調だとわかる状態でした。
体がむくんでぱんぱんに腫れあがり、
皮膚がひびわれていまにも破裂してしまいそうだったのです。
懸命の治療が続き、男の子は元気に回復しました。
しかし、彼のように命が助かった子どもはまだ幸運です。
診療所にたどり着くことすらかなわずに、命を落とす子どもが大勢いるのです。
 
国境なき医師団が出会った、ある家族の話を紹介させてください。
 
 3人の幼い子どもを連れたその一家は、飢えや武力闘争から逃れるために、
 エチオピアへ逃げることを決意しました。
 着の身着のまま、食べるものもなく20日間も歩き続け、
 一家はようやく国境の難民キャンプにたどり着きました。
 ところが、到着するやいなや、子どもたちが次々と倒れてしまったのです。
 皆あまりにもひどい栄養失調におちいっていっており、
 すでに手のほどこしようがない状態でした。
 懸命の治療もむなしく、3人の子どもたちは、とうとう全員が息を引き取りました。
 
また、ある一家は、28日間もの旅の末にエチオピアにたどり着きました。
しかし、すでにどの難民キャンプも殺到する人びとで収容能力の限界を超えており、
すぐに彼らを受け入れることはできませんでした。
一家はさらに6週間もキャンプの外で待たなければなりませんでした。
それでも、彼らはソマリアを離れるしかなかったのです。
 
なぜ、このような悲劇が起きているのでしょうか?
 
 2年にわたり大規模な干ばつに見舞われたソマリアでは、
 たくさんの農作物や家畜が打撃を受けました。
 しかし、それは、いま現地で見られる深刻な人道的危機の一つの原因に過ぎません。
 20年にわたる内戦により、この国の医療システムは崩壊したままなのです。
 
栄養失調の問題は深刻です。
そしてコレラやはしかが、弱った命にさらなるダメージを与えるのです。
長引く内戦が、援助を必要とする数多くの人々へのアクセスを難しくし、
援助や物資も不足しています。
 
 国際援助が厳しく制限されるソマリアで活動を行っている数少ない組織の一つが、
 私たち国境なき医師団です。
 約20年にわたり、ソマリアの人びとに無償で医療を提供しています。
 活動にさまざまな制約がある中で、できる限りの活動を続けています。
 9月現在、ソマリア国内で13の医療・栄養治療プログラムを運営し、
 8ヶ所の集中栄養治療センターで深刻な栄養失調にかかった子どもたちを治療しています。
 
2年前、私が国境なき医師団の海外派遣スタッフとしてソマリアに派遣されたときのことです。
モガディシオで激しい戦闘があり、治安上の理由から緊急退避を余儀なくされました。
退避の当日にも、爆弾と銃撃で重傷を負った人びとが、
私たちの診療所に治療を受けにやってきていました。
助けを待っている患者さんがいるにもかかわらず、やむを得ないこの退避には、
身を引き裂かれる思いでした。
診療所を離れる前にできる限りの治療を行いましたが、
とても悲しく、やるせない思いで診療所をあとにしました。
このことは決して忘れられない出来事となりました。
 
 空港に着くと、そこには見覚えのある男の子がお父さんに連れられて立っていました。
 以前重傷を負って診療所に運ばれ、手術によって命を救うことができた少年でした。
 私を見送りに来てくれていたのです。
 元気を取り戻した少年の姿に、医療援助の可能性を見た瞬間でした。
 「大きくなったらパイロットになりたい」と私に語ってくれたこの少年のように、
 一人でも多くの命を助けたい。
 その思いはさらに強くなりました。
 
ソマリアは、国境なき医師団が活動している60を超える国や地域の一つです。
世界中では、私たちの海外派遣スタッフと現地スタッフが、
援助を必要としている人びとに医療を届けるため、必死に活動しています。
ソマリアや世界各地で、こうした命をつなぐ活動を続けるためには、
皆様のご支援がどうしても欠かせません。
 
 私が国境なき医師団の活動に参加したのは、ずいぶん前のことになりますが、
 その理由は今でもはっきりと覚えています。
 当時勤務していた病院で、助けを必要とする患者さんの写真と
 「あなたを待っている人たちがいます」というメッセージが入ったポスターを見たのです。
 自分にもできることがある・・・・・・何かを変えたいという思いに動かされ、
 援助活動に参加することを決めました。
 
私たち国境なき医師団日本の活動資金の100%は、
皆様のような民間の方々からの支援によるものです。
このため、私たちは完全な独立と中立を保つことができ、
ソマリアのような他の多くの援助団体が立ち入ることさえ難しい地域でも活動ができ、
また、どのような緊急事態に対してもすぐに活動を開始することができるのです。
皆様の一人ひとりの支援が、
ソマリアのような貧困や紛争などで命の危機に直面している人びとを救うのです。
 
 皆様からの支援は、大きな力となります。
 3,000円あれば、診療所にやってくる120人の人びとを診療することができます。
 10,000円あれば、栄養失調で苦しむ子どもたちに
 300食もの栄養治療食を提供することができるのです。
 
東日本大震災で、日本は世界の人びとから多くの支援を受けました。
世界の人びとが日本に手を差し伸べてくれました。
そして、世界には、
人びとが力を合わせて立ち向かわなければいけない困難がまだ数多く存在します。
ソマリアで苦しむ人びとが、私たちを待っているのです。
 
 どうかこの手紙を読み終えたら、同封の申込用紙にご記入の上、
 今すぐに寄付いただけますよう、心からお願いいたします。
 皆様からの寄付を、命の危機に瀕した人びとを一人でも多く救えるよう、
 友好に活用させていただきます。
 
 国境なき医師団日本会長
      小児外科医
       黒崎伸子
 
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(転記ここまで)
 
太字のところは、実際の手紙にアンダーラインが引いてあったところです。
黒崎さんは、「あなたを待っている人たちがいます」というポスターのメッセージに出会い、
国境なき医師団」に参加されたそうですが、
「大きくなったらパイロットになりたい」と語ってくれた少年が
黒崎さんを待っていた人の一人なのでしょうね。
少年がパイロットの夢を叶えてくれることを、私も第三者ながら心より願いたいと思います。
 
頂いたこの手紙のお陰で、ソマリアが最悪の人道的危機に陥っていることを知りました。
1万円あれば、栄養失調に苦しむ子どもたちに、
子ども本来の「笑顔」を取り戻せるようですので、
少ない金額ですが寄付をすることを決めました。
私の寄付を待つ人が確実にいらっしゃるはずですし。
 
ご参考までに、国境なき医師団ソマリア周辺国への寄付のページをご案内します。(こちら
 
世界中の人が「笑顔」で暮らせる世界。私は、頑張ったら創れると思っています。
 

 
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