「成る」そして「成す」

自分も含めて「人」が「幸せ」になるためには、どうしたらいいか?
 
このブログでは、「人」にとって一番大切な上記の疑問を追求しています。
なるべく「本質」を突くというアプローチで。
 
はるか昔、奈良に旅行に行った際に、
葛城一言主神社という神社に立ち寄りました。
そこの祭神は「一言主大神」という神様です。
この神様は、願い事を「一言」のみ叶えてもらえるという信仰を集めています。
 
そう。「一言」だけなのです。
どんな願い事にしようかと私は悩みました。
例えば、
「素敵な出会いと体験に恵まれて、健康で長生きできて、お金持ちになれますように」
なんて願いは、取り扱いエラーとなってしまう訳です。
私は、「一言」というのだから、なるべく短い言葉がいいんだろうなと考え、
2文字の願い事にしました。
 
「成る」です。
 
これは、将棋の「歩」が敵陣に入って「成る」ようなイメージ、
それから、なりたい自分に「成る」という「自己実現」のイメージ。
 
あれから、随分時が経ちましたが、
この「成る」という願いは、少しずつ実現しているように感じます。
 
「与える」側の人間に、もう少しで成れるかも。
笑顔を絶やさない、人に「承認」を与えられる人間にもう少しで成れるかも。
決して人を傷つけない、人の心の痛みがわかる人間にもう少しで成れるかも。
困っている人に、自分のものを「与える」人間にもう少しで成れるかも。
 
「努力」できる側の人間に、もう少しで成れるかも。
目の前の1時間1時間を、意味のある時間で埋められる人間にもう少しで成れるかも。
前もって計画して、必要なことを着実に達成できる人間にもう少しで成れるかも。
「与える」ために、汗を惜しまず自分の力を磨ける人間にもう少しで成れるかも。
 
「成る」と、少しずつ「幸せ」になってきました。
だんだんと自分に自信を持てるようになり、
自分の可能性を実感できるようになったのです。
 
しかし同時に、「成る」だけでは「幸せ」にはまだ足りないとも感じています。
いくら自分が「自己実現」しても、環境は変わらないのです。
「幸せ」は心の持ち方で変わるという
フランクル心理学でいうところの「態度価値」的な考え方も確かに大切ですが、
アウシュビッツのような奪われた環境でない限り、
自己実現」した力で理想の環境を構築するところまで欲張っても、
よいような気がします。
すなわち、「成る」ことができたら、次は世に「成す」のです。
 
私は、私の周りを「優しくて強い」環境にしていきたい。
そして、タンポポの種のように「世界」にも「優しくて強い」環境を伝播したい。
つまり、「理想郷」を自分の周りに、そして世界に築き上げていくのです。
 
「理想の環境」もしくは「理想郷」の実現。
40億年前に誕生した「生命」達が、ずっと夢見続けたことではないでしょうか?
 
私は、この「理想郷」の構築を「幸せ」の最終ゴールに位置づけたいと思います。
 
さて、ここで問題。
「幸せ」になるためにどうしたらよいか?「一言」で答えなさい。
私の答えは7文字です。
 
 「成る」そして「成す」
 
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