日本という「国」は、今存在するのか?

昨日のブログの続きです。
 
私は、昨日鹿児島の「知覧特攻平和会館」に行ってきました。
特攻隊員1,036人の遺影や隊員たちの遺書等の遺品が展示されています。
 
知覧特攻平和会館」に行って得た一番大きな気づきは、
「歴史上の人物」ぐらいにしか捉えていなかった若き特攻隊員達を、
自分と同じ等身大の人間として感じることができたことです。
 
彼らが亡くなった「昭和」と私が生まれた「昭和」は、もちろん同じ年号。
彼らは、ちょんまげをしていた訳でもなく、
普通に洋服を着て、普通に車に乗り、普通に学生をしていました。
彼らの遺影を見ると、本当に普通に現在の町を歩いているような普通の若者達です。
 
それだけに、彼らの苦悩をリアルに想像させられました。
「俺が17歳の時は、どんなだったかなぁ?」
「えっ22歳のときにお国のために死ねとか言われたら、俺どうするんだろ?」
本当に自分のこととして想像しました。
そして、彼らの遺書を読み、彼らの心の内に思いを巡らせたのです。
当然、涙が出てきます。
 
ところで、私は、「知覧特攻平和会館」を訪問するにあたり、
「特攻 最後の証言」という書籍を購入しました。
機体の故障等により生き延びた元特攻隊員の方々8名をインタビューした本です。
読んでいき、結構公平な本だなぁというイメージを持ちました。
感情の捌け口として平気で隊員を殴る上官達のことが語られていると一方、
終戦後も特攻を行った特攻隊の教官達のことも語られているのです。
自分の教え子たちが特攻で亡くなっているのに、
自分だけが生き残るのは申し訳ないという気持ちが、教官達にはあったのでしょう。
 
う〜ん・・。
この文章だけでは、
「教官たちは、何も死ぬことはなかった」という感想を持たれる方も
結構いらっしゃるでしょうね。
この教官たちの想いを少しでも理解するためには、
やはり「知覧特攻平和会館」に足を運ぶ必要があるのかもしれません。
 
戦時中の日本軍は、人間の想像力を塞いで、
すべて命令と命令を受けることだけですむ世界だったそうです。
大学出身の考えることが好きな人々にとっては、厳しい世界だったと書いてあります。
そういった環境の中で、
希望者が募られ、自ら志願して特攻隊になった方々がいらっしゃったようです。
また拒否権もなく、否応なく特攻隊に配属になった方々もいらっしゃいました。
当時は、特攻だろうが何だろうが命令には従うものという観念があったそうです。
一方で、鬼畜(と教育されていた)米軍が日本の本土に迫るなか、
家族(両親や兄弟、妻・恋人)や日本を護るために
1機でも船を沈めようという強い想いも持たれていました。
「俺達がやらなければ誰がやる」という強い想い。
 
 そんな環境の中、彼らはもう戻ることのない日本を背に大空に飛び立ちました。
 
「お国のため」。
この言葉を聞くと、ほとんどの方が拒絶反応を示すのではないでしょうか。
私もネガティブなイメージを持っていました。
しかし、この「お国」という言葉の裏には、「日本国家」という意味合いの他に、
親兄弟や妻、恋人、仲間といった愛する人々の顔があり、
その延長線上に「日本という共同体」という意味合いもあったのだと、
実感を持って知ることができました。
 
ところで、戦後のアメリカの占領政策により、
日本に2度と戦争させないよう、
「お国のため」という言葉は徹底的に日本人の思想から排除されました。
アメリカ軍の占領後は、
ラジオから「真相はこうだ」という嘘八百の放送が毎日流れていたのだそうです。
そして、メディアや教育という日本人の思想形成を担うところは、完全に掌握されました。
余談ですが、日本に強い軍事力があると困る国(中国や韓国、北朝鮮)も、
日本のメディアや教育の現場に深く関与していたのではないかと私は考えています。
日教組や一部のマスメディアは、今でも頑張っているようですし。
 
戦時中は日本軍が、そして戦後はアメリカ等の外国が、日本人を洗脳した訳です。
この「特攻 最後の証言」という書籍の中に、
有人誘導式ミサイルの「桜花」のパイロットであった
鈴木英男さんのインタビュー記事があります。
(「桜花」のウィキペディアはこちらです。)
少し紹介したいと思います。
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 アメリカとしては、日本という国が怖かったから、
 2度と戦争させちゃいけないということで、
 日本を骨抜きにしようというのが彼らの占領政策だったわけですよ。
 我々が復員してラジオ聞いても
 「真相はこうだ」とか「真相箱」という放送を毎日やっていました。
 これで洗脳する。
 大本営嘘八百の発表をしたのと同じように、
 アメリカも嘘で固めた作り話で日本人を洗脳し始めたんです。
 (中略)
 <最後に若い人たちに伝えたいメッセージをお願いします。>
 いろいろありますが・・・とにかく教育が骨抜きにされていますね。
 おまけに付和雷同したおかしな政治家が、
 国を愛するなんていうのはとんでもないなどと平気で発言する。
 普通そんなことは通らないことです。
 愛国心をしっかり持って欲しい。
 愛国心がどこから出てくるのかといえば、
 自分の文化を大事にし、郷土を大事にし、日本の文化を大事にする、
 その先に象徴である日の丸の旗も大事にすると。
 その愛国心を持たなければいけないのに、その教育ができていない。
 むしろ愛国心を持つと戦争を起こすなんて馬鹿なことを言ってる。
 中国にあんなことを言われても、中国の言う通りにしようだって。
 土下座外交媚中外交していることに気がつかないのかと言いたい。
 そういう世の中において、やはり若い人たちに良く見てもらって、
 これじゃいかんぜと、一人一人が国を愛することから始めて欲しいな。
 そして何でもいいから社会に奉仕しようと心がけて欲しい。
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ところで、このブログで以前、アメリカの文系の学生に最も人気のある就職先が、
公教育を支援するNPOティーチ・フォー・アメリカ(TFA)」であることを
紹介しました。
グーグル社やアップル社等の大会社よりも、
学生達はアメリカ社会のために働こうとしているのです。
(詳しくは、私の過去ブログをお読みください)
この事実を知って、だからアメリカという国は力強いんだなと思いました。
国民に「愛国心」が普通にあり、アメリカ社会の「幸せ」を増進させているのです。
 
日本では「愛国心」なんて言うと、すぐに「右翼」や「街宣右翼」が想起されます。
しかし、「街宣右翼」の中には、我々日本人に対して、
愛国心」という言葉に否定的な印象を持たせるため、街宣をしている組織もあるようです。
(詳しくは、ウィキペディアをご覧下さい。
 結構、バランスよく公平に書かれていると思います。
 てっきり、賛否どちらかの意見者によって偏った記事になっていると思ったのですが、
 さすが、ウィキペディアの運営システムです。)
 
私は、元特攻隊員のインタビュー記事を読み、
愛国心」という言葉をゼロから考え直す必要があると感じました。
「愛」という言葉は素晴らしい言葉なのに、「愛国」となると物騒なイメージです。
ということは、「国」という言葉に何か問題があると考えられます。
「国」という字は、「口」の中に「玉」が入っています。
愛する対象としての「国」が適切かどうかは、中の「玉」次第ではないでしょうか?
他国に侵入し民族浄化をやるような理念を掲げたり、
国内の自由な思想を弾圧するような理念を掲げるような「玉」には
絶対に賛同してはいけないし、
そんな「玉」を「口」の中に入れても絶対にいけません。
 
しかし、
「皆が笑顔になる幸せな国を創ろう」とか「弱者を助けよう」という
「玉」が入った「国」であるならば、
逆に愛する対象とし、自らも貢献して育てたいと思います。
 
今の日本人は「国」を愛することができなくなりました。
今日本にある価値観は、「公」ではなく「私」を愛するということ。
この傾向は、残念ながら日本を牽引すべき政治家に顕著ではないでしょうか。
 
政治家を始めとして、「国」という言葉に価値を感じていない人々が大勢います。
ですから、今の日本は「国」ではなく「口」だと私は思う次第です。
 
もちろん「私」を大切にすることも、大事なことです。
しかし、「公」にも同時に貢献して「与える」ことで得られる「幸せ」も重要な人生の糧。
その糧なしに運営される人生や社会は、いびつなものになってしまうと思います。
 
本当は、「世界愛」って段階まで行きたいところですが、
世界という範囲は、まだまだ私たちには広すぎる。
私たちがコントロールできるのは、選挙が実施できる「国」という範囲までです。
日本という「国」は、日本人に対してどんな「幸せ」を提供できるのか。
日本という「国」は、世界に対してどんな「幸せ」を提供できるのか。
日本にしかできない日本の「役割」とは何か?
しっかりと「口」に「玉」を入れて、「国」としての本来の活動を行うべきなのです。
そりゃあ今の状態の日本なら、
社会は不幸になるし、世界への役割もない状態になるよなぁと思います。
 
ところで、私は、昨日のブログで紹介した特攻隊員の上原良司さんの遺稿にあるような、
「心の自由」を最も大切にします。
だから、国や組織に尽くすなんて、まっぴらゴメンです。
しかし、皆が「幸せ」になるために貢献をしたいとは思っています。
誰かの「利益」のために利用されるのではなく、
誰かの「幸せ」のために自ら働きたい。
私の理想とする「玉」はそんな「玉」です。
日本という国も、自らの「自由意志」で、
国民や世界の「幸せ」を実現する国になったら素晴らしいなと思っています。
21世紀の今、賛同していただける方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか。
多くの方に賛同していただけると嬉しいなぁと思います。
 
さて、「口」に宝石のような美しい「玉」を入れるのは、我々国民です。
選挙で投票するにあたっては、
よく調べ、よく考察し、よく議論することが必要であると考えます。
それも、メディア等の外部情報を鵜呑みにせず、自分の頭で考えるのです。
各人が「玉」を持っているはずですから、
その「玉」を入れるのにふさわしい政党や候補者は誰なのか?
 
それにしても、いつから我々日本人は、
批判ばかりする、人任せな体質になってしまったのでしょうか。
若い特攻隊員達は、「俺たちがやらなければ誰がやる」という強い意志の下、
一人ひとりが日本を背負う想いで、飛んで行きました。
私たちも、一人ひとりが日本を背負う想いで投票先を選ぶべきだと考える次第です。
 
まずは、日本を愛せる「国」にしましょう。
大丈夫、他国になんと言われようと、
我々日本人は愛するに足る「国」を創ることができます。
 
お先の暗い社会であるとは言え、特攻隊員の方々から見れば、
天国のような恵まれた環境にいる我々日本人。
頑張って「幸せ」な国にしないと、彼らに本当に申し訳がたちません。
本当にです。