「知覧特攻平和会館」

新年、明けましておめでとうございます。
皆様、2012年の幕開けは、いかがお過ごしでしょうか?
 
私は、元旦からクタクタです。
日帰りで、鹿児島県南九州市の「知覧特攻平和会館」に行って来ました。
朝4時に起きて、羽田から鹿児島空港へ。
そこからレンタカーで1時間10分かけて「知覧特攻平和会館」に到着しました。
そして、3時間ほど館内を見て回り、同じルートで東京までトンボ返りです。
 
結論から申し上げると、「行ってよかった」と心から感じています。
この「知覧特攻平和会館」は、なんと365日無休です。
おそらく、多くの人に伝えたいという想いから1日も休まず開けているのだと思います。
また驚くことに、元旦だというのに多くの方が来訪されていました。
私はてっきり、人のまばらな館内でゆっくり資料を見て回れると思ったのですが・・。
 
さて、正直私は泣きました。
知覧特攻平和会館」に展示されているものは、
私より若い人たちが「死」を覚悟した想いや決意です。
特攻に参加したメンバーには、
17歳からの未成年のメンバーもたくさんいます。
17歳なんてまだまだ子どもですよ。
向こうは嫌がると思いますが、私は思い切り抱きしめてやりたい気持になりました。
 
そこにあったのは、学校の教科書にも載っていない、戦争の当事者達の生の声です。
特攻隊に対する考え方、太平洋戦争に対する考え方、日本に対する考え方が、変わりました。
 
一つ言えるのは、命を賭した彼らの行為を、
イデオロギーやマスメディアの評価だけで、安易に判断できるものではないということです。
「戦争は悪」は、もちろん正しい。
しかし、だからと言って、先の大戦に通ずるものは全て「悪」だというのは少し短絡的です。
願わくば、少なくとも特攻隊という事実を判断しようとするのなら、
是非「知覧特攻平和会館」に足を運んで、自分の視点でゼロから考えて欲しいと思います。
繰り返しになりますが、様々な葛藤を乗り越えて命を賭した行為なのです。
彼らの想いを知ろうとせずに、安易に判断できるものではないと考えます。
 
館内には、特攻に使用した飛行機のレプリカや特攻隊員たちの遺品、
それに、彼らの写真や家族にあてた遺書等が残されています。
特に心を打つのは、彼らの晴れやかな顔を写した写真と彼らの心情を綴った遺書等の書面です。
館内は撮影禁止であったため、私の心に特に残った遺書等をメモに書き写しました。
このブログで、3つ紹介させていただきます。
 
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 清子殿
 
 兄は特別攻撃隊員として
 太平洋の防波堤になる為に
 征(い)くことになった。
 今迄少しも兄らしい事もせず許して呉れ。
 強く優しいそして朗らかに
 お母さんや姉さんの教を良く守って
 兄さんの分迄孝養をつくして呉れ。
 兄は常に大空より清子を守っている。
 身体の丈夫なのが何よりの孝行だ。
 病気にならない様に呉々も注意せよ。
 桜咲く春には九段に居る。
 勉強をおこたるなよ。
 
  さようなら
 
 三月二十七日 兄より
 
  唯一人の妹に
 
 記載主:清水保三少尉
 戦死日:昭和20年4月3日(23歳)
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 幸一君
 
 一歩先に征(い)く。
 御両親の事は宜敷く頼むぞ。
 俺に出来る最善の努力と技術を尽して闘う。
 快なる哉だ。
 俺の嫁は空母ときめた。
 お前には三国一の花嫁を迎えてやりたいな。
 元気で皆様と楽しく暮らして呉れよ。
 では呉々も後を頼むぞ。
 
  雲を裂き地を挫かなん
  年明けぬ
  国の恩、親の恩、師の恩に感謝しつつ
 
  一郎
 
 記載主:矢作一郎大尉
 戦死日:昭和20年4月2日(23歳)
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最後に、もう一つ遺稿を紹介します。
慶応大学出身の上原良司大尉が出撃前に書いた所感です。
私は、彼の文章にとても親近感を覚えました。
私が惹かれたのは、時勢に流されず自分の考えをしっかりと持たれている点です。
是非、ネットの世界に彼の考えを再発信したいと思います。
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 (中略)
 思えば長き学生時代を通じて得た
 信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、
 これはあるひは、
 自由主義者と言われるかも知れませんが、
 自由の勝利は明白な事だと思います。
 人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく、
 例えそれが抑えられているごとく見えても、
 底においては、常に闘いつつ最後には必ず勝つという事は、
 彼(か)のイタリアのフローチェも言っているごとく真理であると思います。
 ファシズムのイタリヤは如何(いかん)、ナチズムのドイツはまた既に敗れ、
 今や権力主義国家は、土台石の壊れた建築物のごとく、
 次から次へと滅亡しつつあります。
 真理の普遍さは今、現実によって証明されつつ、
 過去において歴史が示したごとく、
 未来永久に自由の偉大さを証明して行くと思われます。
 自己の信念の正しかった事。
 この事はあるいは祖国にとって恐るべき事であるかも知れませんが、
 吾人にとっては嬉しい限りです。
 現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。
 既に思想によって、その闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。
 (中略)
 世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。
 (中略)
 ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、
 国民の方々にお願いするのみです。
 明日は自由主義者の一人この世から去って行きます
 彼の後姿は寂しいですが、心中満足で一杯です。
 
  出撃の前夜記す
 
 記載主:上原良司大尉
 戦死日:昭和20年5月11日(22歳