日本人は「態度価値」を体得すべし

あなたは、1日24時間を自分のために使っていますか?
使っていませんよね?
考えてみると、1日24時間のうち多くの時間を他者のために使っているようです。
だけど、一口に他者のために自分の大切な時間を使っていると言っても、
一概に悪いことだとは言えません。
例えば、家族サービス。
これは、「家族」のために使っている時間ですが、
「自分」の「意思」で「他者」のために使っている時間です。
例えば、仕事でも、
嫌々やる仕事は、「他者」の「強制」による「他者」のために使う「時間」ですが、
自分から主体的に行う仕事は、
「自分」の「意思」による「他者」ために使う「時間」です。
 
「他者」に「強制」されて使う「時間」は、なんだか「幸せ」ではないような気がします。
「自分」の「意思」でなるべく多くの「時間」を生きることができた時、
そこに「生きている」実感が生まれます。
フランクル心理学で言うところの「態度価値」は、
例え、「他者」のために使っている「時間」であっても、
「自分」の「意思」で行っているという実感がある時に発生するものと思われます。
アウシュビッツのような地獄のような環境であっても、
「態度価値」を持ち続けた人々は、人間の尊厳を保って生きることができたのです。
フランクル心理学では、「態度価値」は「創造価値」「体験価値」と共に、
「幸せ」の3要素となっています。
そして、その中でも最も過酷な環境にあっても持つことができる「幸せ」が
「態度価値」なのです。
フランクル心理学については、過去ブログをどうぞ)
 
そして、現代の日本人。
先進国の中で最も有給休暇を取得しない国としてランキングされています。
そして、サービス残業
毎日毎日ばっちり頑張っちゃっている人も多いのではないでしょうか?
 
そんな環境にあっては、「創造価値」も「体験価値」も狙う暇がありません。
そう。日本人は、「態度価値」を狙わないと、「幸せ」になれない人が多いのです。
 
上記の説明で見てきましたが、
「態度価値」とは、「自分」の「意思」で生きているという実感から生まれます。
すなわち、「他律」ではなく「自律」して生きることが、
どんな時にでも「幸せ」を感じることのできる鍵なのです。
 
では、私たちはどの程度、「自律」して生きているのでしょうか?
 
例えば食事や排泄や睡眠は、自分の「意思」でなく、
「遺伝子(本能)」のもたらす「欲求」によって行われています。
これは「他律」の行動と捉えて差し支えないでしょう。
食事や排泄や睡眠、それぞれに「快楽」と「苦痛」が伴っていることがわかりますか?
例えば、お腹を壊した時にトイレまで我慢している時のあの「苦痛」。
我々をこき使う「遺伝子」様は、我々を「ムチ」打ち、トイレに行かせようとします。
「快楽」であれ「苦痛」であれ、自分達の「意思」以外の要因による行動は、
「他律」の行動となる訳です。
 
次に、「仕事」の話。
ここの時間が「他律」となるか「自律」となるか。
通常のサラリーマンは「他律」の時間が多いでしょう。
なぜなら、「ボスの指示」で動くことが仕事だから。
まあ、その「ボスの指示」を自身の運命として受け入れ、
自分の「意思」で仕事を行う場合については、
「自律」して仕事をしていると言えるでしょうけど。
しかし、これは容易なことではありません。訓練が必要です。
「ストレス」や「疲労」という要素は、強力に「自律」を「他律」に引き戻します。
どんなに「ストレス」や「疲労」で疲弊しきっている状態の時でも、
自分に降りかかる仕事を自分の「運命」だと受け止める揺るぎない「心の強さ」。
「仕事」で「幸せ」を狙うためには、この境地を目指す必要があると考えます。
 
次に、仕事が終わった後の家での「時間」や、休日の「時間」。
自分で処分できる「自由時間」の話。
実は、この「自由時間」にあっても、「他律」と「自律」の闘いは繰り広げられます。
恐ろしいことに、「自由時間」ですら「他律」で終わってしまうこともあるのです。
休日を1日ゴロゴロしていて、後悔したことはありませんか?
それは、1日が「他律」で終わってしまったからです。
すなわち、今度は「遺伝子(本能)」が闘いの相手となります。
 
まず、この「自由時間」の最初のバトルステージは「回復」です。
「仕事」で消耗した「気力」や「体力」をどのように回復するか?
「遺伝子(本能)」のもたらす「快楽」で「回復」しようとしてはいけません。
「快楽」に向かうということは、
その人の「気力」や「体力」を更に消耗させているからです。
「回復」はしっかり自分の「意思」で行いましょう。
例えば「ストレス」は、「ケーキ」を食べて埋め合わせるのではなく、
「運動」して発散したり「瞑想」して解消すべきなのです。
 
「回復」を、何も考えずに「遺伝子(本能)」に委ねると、
1日テレビを見て過ごしたり、ゲームをして過ごしたりということになります。
ちゃんと自分の「意思」で効果的に「回復」した場合にのみ、
「気力」や「体力」も十分にある、本当の「自由時間」が始まります。
ここをどう生きるかが、「人生」の肝となる訳です。
 
こうやって検証していくと、私の「人生」は「他律」の人生だったなと実感します。
そりゃあ、「幸せ」を感じられない訳です。
 
「幸せ」な人生を歩むために、
まずは「回復」を自分の「意思」でしっかりとやりたいと思います。
効果的に「気力」や「体力」を回復する方法を確定させる。
そうすると、新たな「人生」が見えてくるように思います。
今まで、散々「回復」の仕方を誤って、不毛な「他律的」時間を過ごしてしまいました。
これからは「自律」した人生を送り、
「幸せ」の最大要素である「態度価値」を体得したいと思います。