「無財の七施」

日々「幸せ」について考察してブログを描いていると、
よく「仏教」の話にだどり着きます。
私が一生懸命考えて「こうかな」と思ったことが、
既に「仏教」で語られていたりするんですね。
 
私が日々考え続けている「問い」は、おおむね以下の2つに分類できます。
「世界はどうしてこんなに苦しみに溢れているのか?」。
そして、「人が幸せになるためにはどうしたらよいか?」。
どうやら「仏教」には、これらの「答え」が既にあるようです。
それも、「昔の人がパンドラの箱を開けてしまったから」とか、
そんな物語レベルではなく、論理的な納得感のある「答え」が。
そういった訳で、私は「仏教」を「宗教」ではなく、
ブッダやその後の先人が永い時をかけて考察した「哲学」だと考えています。
 
さて、先日のブログで私は、
「モノ」を与えるのが難しいのなら、まず「心」を与え合いましょうという記事を描きました。
「心」を与え合うだけでも、十分に「幸せ」になれると。
 
実はこの概念も、既に「仏教」で語られていました。
それも、「心」を与えるという概念を7つに分解して論理的にまとめてあるのです。
これを「無財の七施」と言います。
 
無財の七施」とは、「モノ」や「お金」がなくても周りの人々を「幸せ」にする方法。
具体的な内容は、
天台宗」の「一隅を照らす運動」というホームページから以下に引用させて頂きます。
 
無財の七施(むざいのしちせ)」
 1.眼施(げんせ) やさしい眼差(まなざ)しで人に接する
 2.和顔悦色施(わげんえつじきせ) にこやかな顔で接する
 3.言辞施(ごんじせ) やさしい言葉で接する
 4.身施(しんせ) 自分の身体でできることを奉仕する
 5.心施(しんせ) 他のために心をくばる
 6.床座施(しょうざせ) 席や場所を譲る
 7.房舎施(ぼうじゃせ) 自分の家を提供する
 
それぞれの詳しい内容は、是非「天台宗」のホームページを見て下さい。
詳しく説明されています。
 
「心を与えましょう」とか言われても、よくわからないと思いますが、
これだけ具体的にかみ砕いて説明して頂くと、実際に何をしたらよいかイメージできますね。
 
もちろん、この「世界」は「苦しみ」に包まれた「ストレス社会」。
本当は、「無財の七施」をやるのだって「心」に余裕がなくて難しいことなのだと思います。
「眼」や「顔」がいつも険しく、一緒にいる時間が辛い人って結構周りにいますよね。
自分の実体験として思うことは、
普段からニコニコしている人には、自然とこちらもニコニコした顔を向けられる。
しかし、険しい顔をしている人に対して、
ニコニコするのって「心」のどこかが抵抗します。
その抵抗を乗り越えて相手の「苦しみ」を察し「心」で受け止める。
これができる人のみが、いつもニコニコ笑顔の人になれる訳です。
 
無財の七施」を実践するためには、
「マイナス」を受け止めて「ゼロ」にする力が必要だと思います。
自身が日々の生活から受ける「苦しみ」や「ストレス」を消化して「ゼロ」にする。
他者の発する近寄りがたいマイナスのオーラや言動を受け止めて「ゼロ」にする。
こうした形で、「心」の水面を波立たせることなく穏やかに保つことができて初めて、
無財の七施」を行うことができる訳です。
 
あれ?意外と「心」を与える方も難しいのかもしれませんね。
これは、今の「世界」が
「心」を削り合う「暴風雨」の中にあるというのも一つの原因でしょう。
 
しかし「モノ」と違って「心」は、いくら与えても減ることはありません。
それどころか、「心」を与えれば与えるほど、
自身の「心」が豊かになり「幸せ」に満たされていく訳です。
このことをしっかりと「心」に刻んで、
「自分」を「幸せ」にするために、そして「世界」を「幸せ」にするために、
無財の七施」を実践していきたいなと、私は思います。
 
「世界」は理不尽な「苦しみ」に満ちていますが、それでも「世界」を「愛する」のです。
 
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