「宗教」は何を救うのか?

突然ですが、一つ問いかけをします。
なぜ「宗教」は、多くの人々を惹きつけるのでしょうか?
 
「神話」とか「聖書」とか、「神様」の物語が魅力的だから?
それとも、「死後の世界」があると安心するから?
 
確かに、「神話」とか「聖書」とか物語としても面白い部分がありますが、
面白さにかけては、現代の「小説」の方が勝っていますよね?
また、「死後の世界」と言っても、
皆「天国」に行けるという話であれば、安心して「死」という「苦しみ」に対峙できますが、
必ずセットで語られる「地獄」の描写は本当に恐ろしく、
もはや不快な脅迫状レベルとなっています。
よく、繁華街で
「神を信じれば、地獄に堕ちずに済む」なんて音声を流している団体さんがいますが、
そんな「脅迫」で、その「宗教」を「好き」になる人がいるのでしょうか?
マーケティング」をしっかりと勉強する必要があるように思います(笑)。
 
しかし、このように現代の尺度から見ると様々な「違和感」が露呈しているのにも関わらず、
今なお多くの人々が「宗教」を信じている訳です。
はたして、「宗教」が人々に提供する「機能の本質」とは一体何なのでしょうか?
 
私は、2つあると考えています。
一つは、「苦しみ」への「意味づけ」。
もう一つは、「与える」ことへの「意味づけ」。
 
「苦しみ」への「意味づけ」は、
突然襲いかかってくる理不尽な「苦しみ」への有効な心理的防衛策となります。
例えば、若い人が不慮の事故で半身不随になってしまうような、
そんな許されざる「苦しみ」。
「運が悪かったな」って、軽く考えられる人がどのくらいいるのでしょうか?
「自分」とは、何者にも代え難い世界で一つの「特別」な存在。
「この苦しみは、自分の成長のために必要な試練なんだ」というような
「意味」を見つけられなければ、自分は「特別」でいられなくなります。
「神を信じる自分は救われる」と信じれば、
「心」のあり方次第でどんな不遇に遭遇しても
「特別」な存在であり続けることができる訳です。
 
ただ私は、「宗教」に保証してもらわなくても、
「生命」は一つ一つ「特別」であり、
「人生」もしくは「命」には、どんな時にでも必ず「意味」が存在すると確信しています。
だから私は、多分「宗教」に頼らなくても大丈夫です。
 
次に、「宗教」が提供する「機能の本質」として、
「与える」ことへの「意味づけ」があります。
 
本来、「生命」は他の生命に「与える」ことに「幸せ」を感じるものだと思うのですが、
「遺伝子(仏教で言うところのマーラ)」が邪魔して、
「生命」は、「奪い合う」苦しみのサイクルに取り込まれてしまいます。
「与えたい」と「心」が望んでいるのに、
「遺伝子」は「与えるなんてとんでもない」という「感情」を引き起こす。
このような「綱引き」の中、
「宗教」は、「心」の言っていることが正しいよとお墨付きを与えてくれる訳です。
そうすると、苦しい「葛藤」から人は解放されて、
「心」が望む真の「幸せ」を取りに行くことができる。
もしくは、「遺伝子(本能)」の望むままに「奪い」続けてきた人々が、
ある日気づく疑問「こんなに奪い続けてきたのに何故自分は幸せになれないんだ?」。
「宗教」は、そんな迷える人々に「幸せ」に続く「道」を指し示すのです。
 
ただ、所詮「宗教」は自分で考えずに外から借りてきた「知識」にすぎません。
「異教徒なら殺していい」とか、「奪う」ことをOKとしている「宗教」もありますので、
最初に説明した「機能(「苦しみ」への「意味づけ」)」に比べたら、
この「機能」はあくまで限定的なものです。
ただし、「遺伝子(本能)」の命ずるがままに生きるよりは、
「宗教」のガイドによって
「与える」生き方を目指した方が「幸せ」であることは間違いありません。
 
まあもちろん、一番いいのは、「与える」ことが「幸せ」なのだと自分で気づくことです。
「宗教」に頼ることのデメリットは多々ありますから、
できれば自分で「考察」し続けて、
「与える」=「幸せ」を理解するようにした方がよいように思います。
 
さて、ということで、今日は「宗教」が与える「機能」の「本質」について見てきました。
「宗教」は人にとってどんな「価値」を提供するのか?
その「本質」さえ見えてしまえば、
獲物を求める新興宗教に騙されることもなくなると思います。
もしかしたら、「自分」に合う善良な「宗教」とも出会えるかもしれませんね。
あるいは、「宗教」の「助け」なしでも、「幸せ」を追求できるかもしれません。
 
ギリシア神話に登場するスフィンクスは、道行く人に「謎」を問いかけるそうです。
そして、間違った「答え」を言った者を食べてしまいます。
 
気づいていますか?
私たちにも「世界」から「謎」を与えられていることを。
この「謎」を自分の「心」でしっかりと考えず、
安易に「新興宗教」のような他人の用意した「答え」や、
「遺伝子(本能)」が見せる表面的な「答え」を言ってしまうと、
「世界」に食われてしまいますよ。
 
この「謎」に、真に「答え」られた者だけが、
「幸せ」への「道」を進むことを許されるのかもしれません。

 
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