今、苦しくて苦しくて仕方がない私へ

昔私が描いた「今、苦しくて苦しくて仕方がない人へ」というブログ記事に、コメントを頂きました。
 
コメントがあったら返事を描くようにしている私ですが、
返事を描くためこのブログ記事を読み返した時、
今の私に必要な記事だと気づきました。
過去の私が描いた文章が、今の私の「心」にビンビン響くのです。
やはり、悩みの中にある人々が求める「真の答え」は、自らの「心」の中に。
今回コメントを頂いた方には、心より感謝いたします。
 
私は今、苦しくて苦しくて仕方がありません。
仕事のボリュームが、半端なさ過ぎる。
 
「苦しい」「苦しい」。
人の期待を裏切っちゃいけないのに、仕事の量が多すぎて回らない。
「怠惰」の欲望を完全に殺さないと、「世界」に押しつぶされる。
 
「苦しい」「苦しい」。
でもどんなに苦しくても、誰も助けてくれない。
自分で何とかするしかない。
 
「苦しい」「苦しい」。
私の生きる意味である「ブログ」も満足に描けない。
こんな生活には、耐えられない。
 
自分で何とかすると言っても、どう乗り切るか?
「怠惰」を完全に殺し、「心」に血を流しながら、限界まで進むか?
ぎりぎりのところを踏ん張りつつ、「環境」を変えるよう動くか?
いっそのこと逃げるか?それとも・・・・
 
「苦しみ」は、ライブです。
「苦しみ」の真っ直中にある時は、「苦しみ」を正当に評価できない。
後で振り返る時にしか、「苦しみ」の全貌を把握することはできない。
 
はたして、目の前の「強敵」は倒せるのか?
仲間のいない「ロールプレイング・ゲーム」。
自分というパートナーは、果たして頼れる存在か?
自分を信じるか?自分の「人生」を信じるか?自分の「役割」を信じるか?
 
ああ、「ブログ」は何としても描き続けよう。
それは、私の「役割」。
私にしかできない「役割」。
 
私の生きる意味は何だ?
私は、「人生」についての文章を描きたい。
文章を描くことに、ようやく見つけた生きる「喜び」があるし、
ドラえもん」や「スーパーマン」のように誰かを助けることもできる。
 
全ての「苦しみ」は「心」から生じる。
だから「苦しみ」から人々を救うには、「心」のパワーがあればそれで十分なのだ。
「映画」「小説」「漫画」「絵画」「音楽」、どんな形だって構わない。
苦しんでいる「心」を癒せ!
悲鳴をあげている「心」を抱きしめろ!
うずくまっている「心」を励ませ!
 
はたして、「苦しみ」には「意味」があるのか?
今の「苦しみ」を見ていると、「意味」などないように見えるけど、
過去の私はブログ記事にこう描いていた。
「意味」があると。
 
なるべく多くの人を護ることができる「大木」になるために、
私の「心」は、今更なる「苦しみ」によって耕され、
私の「心」の中に、深く大きく「根」が巡らされていると、過去の私は言っています。
 
「苦しみ」に直面した時、「苦しみ」から逃れるすべなんてありません。
できることは、自分の「人生」を、自分の「役割」を、「信じる」ことだけなのです。