自分を「承認」する

人に「承認」されたい。
思えば、私はずっとそれを望んできました。
子どもの頃から、人間関係が苦手で、友達を作ることができなかった。
だから、「きっと自分は、周りの人と何か違うんだ」と思っていました。
「自分は変わっている人間なんだ」と。
 
それで、自分とは何者であるのかを調べたくて、
高校時代は心理学の本をたくさん読みました。
でも、心理学の本をいくら読んでも、
自分が何者であるか、よくわかりませんでした。
 
大学生になって、「世界」の理不尽さを思いました。
周囲に人々に溶け込めない孤立感。
普通じゃない自分が受ける周りからの奇異の目。
私は、この「世界」とは何なのか知りたくて、
哲学の本をたくさん読みました。
 
それでも、どんなに知識を仕入れても、
なんで自分がこんなに苦しいのかわかりませんでした。
なぜ、自分だけ人と違うのか。
だから、心理学や哲学や生物学やいろいろな本を読むとともに、
自分で答えを考えることにしました。
 
「自分とは何だ?」
「世界とは何だ?」
「幸せとは何だ?」
 
そうして、考えているうちに一つの矛盾に気づく。
「優しさって何だ?」
 
世間では、異質な私を見ると、私に「生理的嫌悪」を抱く人がいます。
「生理的嫌悪」の感情を向けられる側の私からすれば、
そういう人はすぐにわかるし、そういう人に対しては、
貝のように「心」が閉じてしまいます。
「内面」を見られる前に「生理的嫌悪」で拒否されることの「苦しみ」。
 
だけど、たまに「生理的嫌悪」とか関係なく、
「内面」を見てくれる人達がいることに気づきました。
「優しい」人達の存在です。
 
「優しい」人達がいると、自分の「苦しみ」は癒される。
だから私は、「優しさ」というものにとても興味を持つようになりました。
 
「優しさ」を調べていくと、
ソーシャルビジネス等の「優しさ」で社会に貢献している人達の存在を知りました。
「ああ、この人達はすごいなぁ」「この人達は幸せそうだなぁ」
 
彼らのことを調べるうちに、
「優しさ」が「幸せ」をもたらすことに気づいたのです。
そして「優しさ」こそが、人や社会を「幸せ」にする鍵ではないかと考え始めました。
 
「よしじゃあ、苦しんでいる人達に積極的に「優しさ」の気持ちで接していこう」と、
いろいろな方に接していきました。
そうしたら、その時の接した相手の「笑顔」が、
私を「幸せ」にしてくれることを知りました。
何となく、「世界」の秘密の一つがわかったような気がしました。
 
一方、自分の「苦しみ」を伝えても、共有をしてくれない人に対しては、
「仲間」じゃないと思うようになりました。
自分が積極的に「優しさ」を人に向ける一方、
「優しさ」を持たない人には蔑視の感情を持つようになってしまっていたのです。
 
苦しんでいる人を「笑顔」にするという「幸せ」の鍵は確かに入手ましたが、
まだ、私の「心」には大きな穴が開いているようでした。
 
そして、ある方の心温まるアドバイスにより、
私は、自分を「幸せ」にする、もう一つの鍵を手に入れることができました。
 
それは、自分に「優しく」すること。
 
ずっとずっと、本当の私の「心」は「サナギ」のように縮こまって、外から隠れていました。
他者と色が違う自分の羽を広げたら、周りからどんな目で見られるか?
恐怖でじっと閉じこもっていたのです。
 
ある日、私はブログと出会いました。
ブログで、自分の「心」を匿名で公開したところ、
共感して頂ける方がいらっしゃることに気づいたのです。
もしかして、自分の羽の色は、そんなに変わった色ではないのではないか?
私は「サナギ」の中で、
一生懸命自分の小さくたたまれている羽を凝視するようになりました。
 
そして、ある方のアドバイスをきっかけに、
「サナギ」から出て、思いっきり羽を広げてもいいんじゃないかなと思えるようになったのです。
自分は、「苦しみ」から逃げ回っているだけの情けない「サナギ」だと思っていましたが、
その「苦しみ」の長い時期をよく守り通して来たなと逆に考えるようになりました。
それだけの「苦しみ」を乗り越えて育んできた「サナギ」の中身に、
価値を見いだせるようになったのです。
 
さあ、自分の羽をピンと伸ばして、他の蝶に混じって、堂々と大きく飛び立とう。
 
自分を「承認」する。
言葉ではサラッと書けますが、実際に私自身ができるようになるまでには、
上記のような長い月日の経緯を要することになってしまった訳です。
 
「苦しみ」の大きな原因は、自分を「承認」することができないからだと思います。
他者に「承認」を求めても、それは逆に「苦しみ」を生む原因となってしまう訳です。
 
ですので、もし今「苦しい」方がいらっしゃったら、
まず、ちゃんと自分を「承認」できているか、疑った方がよいように思います。
もし、「承認」できていなかったら、まずはちゃんと自分を「承認」しましょう。
 
もちろん、言葉で言うのは簡単ですが、実際に行うのはなかなか難しいものです。
ですので、今日は、私の「自己承認」のスキームを描いてみました。
これから「自己承認」しようとする人々のいくばくかの参考になれば幸いです。