「共感」の時代へ

私は、「優しさ」とは何か?ということを、ずっと考えてきました。
このブログでも、様々な考察を重ねてきた次第です。
 
「優しさ」って、とても不思議なものだと思いませんか?
この「世界」には「資源」が限られているので、
生物間で「競争」が起こることは避けられません。
すなわち、
相手よりも強くなり、相手から奪うか、
相手よりもずるくなり、相手からだまし取るか。
生命の進化の果てには、普通に考えれば
漫画の「北斗の拳」のような殺伐とした「世界」が予測されると思います。
実際、複雑な脳を持たない多くの生命は、
悲しいことに、そういった「弱肉強食」の「世界」に身を委ねているのです。
 
しかしご存じのように、
人間を初めとした一部の生命には、「利他的行動」をとるものが見受けられます。
「利他的行動」とは、自分が確保した「資源」を他者に渡すということであり、
「弱肉強食」の掟から見たら、とても信じられないような行動です。
この奇抜な行動を、人間の世界では「優しさ」と呼ぶ訳ですね。
 
さて、今回のブログタイトルは、書籍のタイトルから持ってきました。
その書籍は、「共感の時代へ(フランス・ドゥ・ヴァール著)」。
フランス・ドゥ・ヴァールさんは、
アメリカのヤーキーズ国立霊長類研究センターの所長を務められる動物行動学者です。
この本では、動物たちの「利他的行動」についての研究結果がまとめられています。
「優しさ」の正体とは何か知りたい方には、非常にお薦めの本です。
私は、この本を読んで「優しさ」の本質を理解することができました。
 
この書籍では「優しさ」ではなく「共感」という言葉を使っていますので、
ここから先は「共感」という言葉で進行していきましょう。
「共感」は3段階の進化の過程を経ているのだそうです。
 
第一段階は「情動伝染」。
 この段階は、ほ乳類や鳥類にあると考えられています。
 これは、相手の気持ちを自分の気持ちとする能力。
 例えば、マウスでこんな実験結果が出ています。
 レバーを押すとエサを食べられる装置があり、
 マウスAはこのレバーを押してエサを食べることを学習するのですが、
 ここで、隣り合った透明のケースにもう一匹マウスBが放たれます。
 このマウスBには、ひどい仕打ちが待っています。
 それは、マウスAがエサを食べるためにレバーを押すと、
 マウスBのケースに電気ショックが流れるようにされているのです。
 何も知らないマウスAは、
 いつものようにレバーを押してエサを食べようとするのですが、
 レバーが押された途端マウスBが電気ショックで苦しむ姿を目撃します。
 すると、どうなるか?
 マウスAは、マウスBの「苦しみ」を自分のもののように感じたのか、
 レバーを押すことをやめたのです。
 「食欲」という欲求を抑え込んで。
 
第二段階は「慰め」。
 群れなどの社会的な生活を行う動物に現れる現象です。
 例えば、犬たちの行動に「慰め」の行動を見ることができます。
 あるペットフード会社所有の草地に毎日放されている犬たち。
 彼らは、仲間同士の喧嘩も絶えないのですが、
 激しい喧嘩の後には、近くにいた犬たちが喧嘩した犬の一方(たいていは負けた方)に、
 近づいて舐めたり、鼻をすり寄せたり、脇に座ったり、いっしょに遊んだりします。
 そうすることで、群れにはいつもどおりの活動が再開されるのです。
 ということで、実際の「負け犬」というのは、仲間から慰められる存在であるようです。
 人間が仲間を蔑視するために使う「負け犬」という言葉は、
 人間社会では通用する言葉ですが、本家の犬たちには通用しません。
 
最後の第三段階は「対象に合わせた援助」です。
 他者の視点に立って、他者の「苦しみ」を緩和しようとする行為を指します。
 これができる種は、数えるほどしかいません。
 我々人間、類人猿、ゾウ、クジラやイルカ。
 例えば、あるゾウは血縁関係のない盲目の仲間のゾウにぴたりと寄り添って、
 仲間の歩行の手助けをします。
 目の見えるゾウが離れてしまうと、両方が太い声を発し互いの居場所を伝えるのです。
 
いかがでしょうか?
どうやら「優しさ」は、人間だけの専売特許ではないようです。
それどころか、この本に出てくる事例を読んでいると、
人間よりも他の種の方がずっと「優しい」のではと思ってしまいます。
 
ある雌のチンパンジーは、
仲間の雌のチンパンジーが雄のチンパンジーに殴られているのを見つけ、
助けに入り、自分が仲間の代わりに殴られ続けたのだそうです。
私はこの事例を読み、じっと考えました。
はたして、誰かの代わりに殴られることが、私にはできるのか?
 
昨今、ある中学校での「いじめ」の話題が、社会的に多くの関心を寄せています。
「いじめ」とは、「共感」の欠如。
相手の「苦しみ」を理解できない人間が起こす行動です。
 
実際、「共感」を示すことができる種の動物においても、
「共感」という感情が欠如している個体がいるようです。
ですから、「いじめる側」も、もしかしたらそういう個体である可能性があります。
あんなに残忍なことが、できるのですからね。
「もし自分だったら?」という想像が及べば、絶対にできない行為だと思います。
 
ですから、「いじめ」の問題については、
「いじめる側」に責任を求めても仕方がない部分があると考える次第です。
それよりも、問題は「共感」という能力を持っている周りの仲間達です。
彼らは、心の奥底で「見て見ぬふりをするのはいけないこと」という罪悪感を持っているはず。
であれば、「心」の欲するまま、「苦しんで」いる仲間を助けられるようになればよい。
「苦しんで」いる人を助けるのは、決してかっこわるいことではない。
こういったメッセージを、我々大人は子ども達に示していかないといけないと思います。
 
今、この「世界」に最も大切なことは「共感」です。
「経済」とか「力」とか、自身の快適さを追求する風潮はもうすぐ下火になります。
 
あらゆるイデオロギーや宗教を越えて、
生命が進化で獲得した普遍の「共感」という概念を
これから先、人々が真剣に考え、肯定し、実行するのです。
今、「共感」や「優しさ」の不足により、人間という種は悲鳴をあげています。
 
「共感」とは、他者の「苦しみ」に涙を流し、
他者の「苦しみ」が取り除かれたら、他者の気持ちになって一緒に喜べる能力です。
今回の東電の原発事故の事例を見てもわかるように、
自身の「経済」や「力」を向上させることのみを「よし」とする競争社会では、
人々は「幸せ」になれないことがわかったと思います。
 
次の時代に必要なキーワード。それが「共感」なのです。