煮詰めて残る「結晶」
今日という一日。
今週という一週間。
今月という一ヶ月。
今年という一年。
そして、今生という一生。
私たちが生きてきた時間。
もし鍋に入れて煮詰めたら、何が残るでしょうか?
不純物が一杯詰まっている「人生」ならば、
煮詰めた後には、きっと何かの「結晶」が残っていることでしょう。
一方、日々同じ事を繰り返しているようなさらっとした「人生」なら、
煮詰めた鍋の底に残るものは、少ないかもしれません。
濃い「人生」を生きていますか?
「人生」は、別にスムーズでなくったっていい。
ドロドロっと独自の粘度を持って、
言われるがままに流されず、
他者が顔をしかめるくらいに「こだわり」を持って、
日々生きていく時に、
「人生」に自分だけの「結晶」が形つくられていきます。
世の中は、別に器用に泳がなくたっていい。
しっかりと自分の形を保って、
周りに流されずに、
他者から扱いづらいと思われるくらいに「己」を持って、
人と相対する時に、
「心」の角は取れて丸くなっていきます。
別に他者の期待のままに動かなくたっていい。
しっかりと自分の「心」で考え続け、
社会の常識を鵜呑みにせずに、
他者から変人扱いされるくらいに「探求心」を持って、
全ての「本質」を解釈していこうとする時に、
感情や損得に囚われない真に欲する「人生」が描かれていきます。
何が大事ですか?
何を大切にしていますか?
何を望んでいるのですか?
こんな単純な問いにさえ、私たちは満足に答えられない。
私は私。
私の「人生」には「意味」がある。
私と「世界」は対等。
こんな当たり前なことに、私たちは気付くことができない。
さあ、「人生」という時間を鍋に入れて煮詰めてみよう。
どんどんどんどん、水分が蒸発していって、
最後に一体、何が残るのだろう?
鍋の底には、きっと、世界に一つの美しい「結晶」。
「人生」という限られた時間の中で、本当に大切なことを成し遂げた「証」。