国家論:見える「成長」と見えない「成長」

人の「成長」とは、
成人になるまでの「体」の成長と、
生涯を通じた「心」の成長である。
 
このブログを見に来て頂けている人ならば、
ある程度、この意見に同意して頂けると想像します。
 
すなわち、人の「成長」には、
目に見える外見の「成長」と目に見えない内面の「成長」の2種類があると、
私は考えている次第です。
そして、見た目の「成長」は自然発生的に誰にも訪れますが、
長く続かずどこかの段階で「意識」とは関係なくストップしてしまいます。
一方、見えない「心」の「成長」は、
様々な経験を積むことによって、年を経るごとに磨きがかかります。
しかし「心」の「成長」は、
ある程度その「成長」の存在を「意識」しないと、
効率的に発現しないのではないかと考える次第です。
 
私が昔mixiをやっていた頃、有料会員になった時期がありました。
その頃は、ショートショート小説を描くことにはまっており、
コミュニティと呼ばれるショートショート小説好きが集まる場で、
よく自作の小説を発表していたものです。
さて、mixiの有料会員の特権の一つに、
皆に「アンケート」を実施できる機能というものがありました。
私は、この特権を利用して普段から疑問に思っていることを聞いてみようと思ったのです。
その疑問とは、「人生の意味は何だと思いますか?」というもの。
mixiのアンケートは、回答すると現時点の集計結果を閲覧できるという仕組みになっています。
おそらく、多くの人が集計結果に興味を持ったのか、
なんと2,000名以上の方々から、このアンケートへの回答を頂くことができたのです。
 
結果は、どうだったと思いますか?
 
2位の「人生に意味はない」を抑えて、堂々の1位に輝いた答え。
それが「成長の場」だったのです。
 
この「成長」とは、当然「心」の「成長」を指すものだと思われます。
多くの人が、「心」の「成長」を「人生の意味」と捉えるほど、
重要な概念として認識していると言えるのではないでしょうか?
 
さて、ここからが本題です。
この「成長」という言葉。
「人」以外にも、あるものにもよく使われます。
それは「国」です。
 
そして「国」の「成長」と言うと、大抵は「経済成長」のことを指します。
もしくはもう少し大きくとって、
「軍事力」を含んだ「国力」の「成長」という概念で使われることもあるでしょう。
 
いずれにしても、
これらは数値という目に見える「成長」として捉えることができると思います。
 
「日本」の「成長」は停滞し、「中国」等の新興国家の「成長」が著しいと言われる昨今。
多くの日本人が、何だか自信を失っているように感じます。
そして、少子高齢化や天災の影響もあるのか、
「成長」なき日本は「老人」のような国になってしまい、
後はゆるやかに衰退していくだけだという悲観論が何となく漂っている今日この頃。
 
私は、この風潮に「異」を唱えたいと思います。
すなわち、「成長」とは見た目の「成長」だけなのか?と問いたい訳ですね。
 
そうではないでしょう?と私は言いたい。
「体」の「成長」が済んだら、いよいよ本格的に「心」の「成長」ですよ。
日本は、「体の成長期」を過ぎ、いよいよ「大人」の時代を迎えます。
 
国民一人ひとりが「幸せ」とは何かを考察し、
「経済成長」以外のものに価値を見出す訳です。
「経済成長」に振り回される国家は、まだ「子ども」だと思います。
「感情」に振り回される国家も同様です。
国力増強のために領土的野心を隠さない隣国。感情に振り回される隣国。
本当にそれらを満たせば、国民は「幸せ」になれるのか?
もっと、国内の不満や腐敗に目を向けた国造りをした方が、
国民は「幸せ」になるのではないか?
 
見える「成長」を終えた国々は、そろそろ見えない「成長」を意識すべきです。
見えない「成長」を意識できないと、
それこそ頑固じいさんの「老人」国家になってしまいますよ。
分別ある本質を見据えた議論をもっともっとたくさんやって、
「大人」の「成長」を目指しましょう。
日本には、その素地が十分にあるはずです。
 
「世界」から、「日本という国があって本当によかった」と言われるように。
 
Support Wikipedia