問おう!「プライド」とは何か?

皆さんは「プライド」を持っていますか?
 
「持っている」と答える人が多いと思います。
「プライド」は持っていないといけない、そんな風潮ですから。
 
ではもう一つ問います。
「プライド」とは一体何ですか?
 
誇り?矜持?自尊心?
 
う〜ん、何だかピンと来ない。
私なりに、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
 
その言葉の「本質」を知りたい時は、よく使われる文章とセットで考えるとよいです。
例えば、「プライドが傷つけられる」なんて文章はよく耳にすると思います。
どうやら「プライド」は傷つけられるものであり、他者から攻撃されるもののようです。
 
じゃあ、「プライド」は守ることができるものなのか?
「あの人はプライドを守るのがうまい」とか、
「俺はずっとプライドを守ってきた」とか、
そんな言い方はしませんので、守るものでもない訳です。
 
むしろ「プライド」は、いつも「ノーガード」であるように思います。
「ノーガード」でありながら、他者から攻撃をされる精神的なポイント。
それが「プライド」です。
 
そして「プライド」を攻撃されたら、反撃をしないと恥ずかしい。
反撃をしないと「おまえにはプライドはないのか?」と周りからバカにされる。
であるならば「プライド」とは、
攻撃をされたらその相手に反撃しなければならないポイントということになるかと思います。
それもイメージとしては、
「相手に感情的に反撃してナンボ」というような、
相手に多少なりとも痛みを伴う方法で反撃することが推奨される物騒なポイントです。
 
かっこよく言うと「龍の逆鱗」ですね。
ウィキペディアによると、「龍の逆鱗」とは、
「81枚の鱗(うろこ)のうち、あごの下に1枚だけ逆さに生えるとされる鱗」なのだそうです。
これにうっかり触れてしまうと、龍は激高し触れた者を即座に殺すとされています。
 
だけどこれ、「龍の逆鱗」がどこかわからずに触ってしまった人からしたら、
迷惑以外の何者でもありませんね。
私は、「プライド」も同様だと考える次第です。
 
すなわち、攻められると感情的に反撃してしまうポイント。
そして、普段からろくにガードもしていないくせに、
そこを攻撃されたのなら、
感情的に相手を攻撃しても構わないという免罪符のようなポイント。
それが「プライド」の正体ではないでしょうか?
 
うっかり「プライド」を攻撃してしまった相手は、
急に感情的に対応されて、目を白黒させてしまうでしょう。
また、もちろん故意で「プライド」を攻撃してくる人もいるかもしれません。
その場合であっても、その幼稚な悪意に反応して自身が感情的になってしまったら、
相手の「やっすい挑発」にまんまと乗せられたことになる訳です。
 
以上、日常的に使われている「プライド」という言葉の正体を探ってきました。
「プライド」とか「龍の逆鱗」とか、言葉の響き自体はかっこいいのですが、
なんだか内容が伴っていないように感じる次第です。
そんな意味の「プライド」だったら、捨ててしまった方がよいかもしれません。
 
私の今までの人生経験から言えることは、「感情的になったら負け」ということです。
そこにあるのは「甘え」や「奢り」であり、何の問題解決にもつながりません。
「泣く子と地頭には勝てぬ」という言葉がありますが、
この言葉は決してよい意味では使われない訳です。
「泣く子」は「甘え」の象徴、「地頭」は「奢り」の象徴と捉えることができます。
 
さてさて、ここまで「考察」を進めてきて私は考えます。
持つなら、「プライド」よりも「自信」かなぁと。
「自信」さえあれば、他者に攻撃されても感情的になることもありませんからね。
「龍の逆鱗」なんて野ざらしにしないで、
鍛えることで、触れられても気にならないようにするのが一番です。
 
ということで、今日の私の提案を最後に記そうと思います。
 
 「プライド」を捨てられるくらいに、自分に「自信」を持ちましょう。
 
Support Wikipedia