「人生」で手に入れるべきただ一つのもの

今日は、ごくごく当たり前のお話をします。
何のひねりもないつまらないお話です。
 
「幸せ」になるために、「人生」の中で獲得すべきものとはなんでしょうか?
様々にあると思いますが、それらの中から1つだけと言われたら?
 
それは、「人間的成長」である・・・と私は考えます。
 
なぜか?
それは、「人生」で遭遇する「苦しみ」のほとんどが人間関係で発生するものだからです。
また、人間関係以外の要因で発生する病気や災難等の「苦しみ」を
乗り越える力もまた「人間的成長」によってもたらされます。
 
つまり、「人生」の「苦しみ」を最小限にしたければ
「人間的成長」を目指す以外に道はないのです。
どんなに大きな富や肩書きを持っていても、「苦しみ」からは逃れることができません。
逆に、持っている富や肩書きに不釣り合いな程度にしか「人間的成長」をしていないと、
「失うこと」の恐怖に常にさいなまれ、常に敵を作り続け猜疑心にさいなまれ、
富や肩書きのまばゆさに集まるのは街灯に集まる蛾のような人々だけとなり、
本当の自分を見てくれる人は誰もいないという「ちょっとした地獄」に陥ってしまいます。
 
また、「人生」の「幸せ」を最大にしたい場合にも、やはり「人間的成長」は重要です。
「人間的成長」をすると、「不満」は消え「幸せ」を感じやすくなります。
「感謝」できるようになるのが、大きな要素の1つです。
 
ところで話が少し脱線しますが、
「感謝」については誤解があると常日頃思うので、ここで言及したいと思います。
私たちは、よく周りから「感謝」しなさいと言われますが、
なぜか抵抗が「心」に生まれるものです。
それは、「感謝」をしろという人達が、
「感謝されたい」という欲を持つ未熟な人々だからです。
だから、いきなりそういう人を手始めに「感謝」をしようとしても、
極めてハードルが高いと言えます。
そうではなくて、「感謝」の練習は、
自分の子どもやパートナー等、「心」がつながっている人々から始めるべきです。
「心」がつながっていれば、
「感謝」を向けられた人の「心」の動きを十分に感じ取ることができます。
その「心」の動きを感じた時、あなたの「心」も共鳴を始める訳です。
すると、わかります。
「感謝」とは相手のために伝えるものでなく、自分のために伝えるものだと。
 
そういうことがわかってくれば、
「感謝しろ」という人々に対しても「感謝」することができるようになります。
 
さて、話を戻したいと思います。
「人間的成長」をしていくと、上記のように「幸せ」の感度が上昇します。
併せて「類は友を呼ぶ」という言葉どおり、
あなたの周りには「喜び」をもたらしてくれるような人々が多く集うようになります。
 
いかがでしょうか?
「人生」の中で、何か一つ手に入れようとするのなら「人間的成長」だとは思いませんか?
 
ここで、いつもの図を出します。

 
左と右の図形の真ん中の円をビスケットとした時、
どちらか一つもらえるとしたら、どちらを目指しますか?
実は、これは「錯視」の図形で、両方とも同じ大きさだったりします。
「大きい左の方!」って思った人は、見事に騙された訳ですね。
 
このように、「人生」は「錯視」だらけだったりします。
生まれてまもなく人々が奪い合うのは、有限の偏差値や富や肩書きや権力。
しかし、本当にそっちを必死になって取りにいくのが「正解」なのか?
そっちは「錯視」で大きく見えるだけって思いませんか?
「人生」の「本質」を丁寧に考えていけば、
自ずと目指すべき道が見えてくると思うのです。
 
私は、こっちに進みます。
 
「皆さん、お先に失礼!」
 
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