最近、「感謝」がたのしい

最近、「感謝」がたのしいのです。
 
昔から、「ありがとう」や「ありがとうございます」が私の口癖でした。
親から躾けられた訳でもなく、
言うとおかしいような場面でも「ありがとう」を使っていました。
 
例えば、頼み事をされて誰かに何かをしてあげたとします。
その際、先方からお礼の言葉を頂くのですが、
私は何か変に恐縮しまくって、
「いえ、こちらこそありがとうございます」と言ってしまう訳ですね。
 
昔の私は自分に自信がなかったから、
人からお礼を言われると何と返したらよいのかわからず、混乱してしまっていました。
わかりやすく誇張を交えて言うと、
「私みたいな虫けらに、お礼の言葉なんて頂いて身に余る光栄すぎてどうしましょう。
 ハワワ。」
みたいな感じです。
 
頼み事をした相手にお礼を言ったのに、
何故か先方から「こちらこそありがとうございます」という言葉が返ってきたら、
ビックリしますよね。
 
だから、昔の私が発する「ありがとう」には、少し強迫観念が入っていたのかもしれません。
とは言え他にも、「お礼」への「お礼返し」には、大きな動機があります。
私にとって、「頼まれ事をやってあげるのは当然」って意識があるのです。
なので、当然のことをしただけなのに、「お礼」の言葉を頂くと、
その「お礼」の言葉に感謝したくなってしまいます。
 
さて、ところが最近自分に自信を持てるようになってきました。
自分に自信を持てた経過は、またいずれブログで紹介したいと思いますが、
要因の一つは、このブログですね。
私のブログを読んで頂ける皆様に、心から感謝いたします。
 
さて自分に自信がついても、相変わらず私は「ありがとう」を言いまくっています。
自分を肯定できるようになったら、「世界」を肯定できるようになるからです。
そして、自分に自信を持てると自分の心に余裕ができるので、
強迫観念からではなく、100%の「感謝」の気持ちで感謝を伝えることができます。
 
すると、「感謝」が楽しくなってきました。
先方の「心」がほっこりするのを感じるのが、たまらなく楽しいんですよね。
例えば、私のコンサルタントの仕事においては、
作業をお願いしている支援先企業のパートの方に、
その作業のお陰でできた資料を見て頂いて、
「あなたの作業のお陰でこんな立派な資料を作成することができました。
 ありがとうございます。」と伝えるようにしています。
この「感謝」の言葉には、
相手を持ち上げていいように使ってやろうという下心は全くなく、
100%個人的な感謝の気持ち。
そうして、相手が喜んでくれるのを感じるのが大好きな訳です。
 
また、メールでも「感謝」を必ず伝えます。
いつもメールで作業をお願いしている方々から撮って頂いた写真が届いた時、
私は「確かに頂きました」という返信のメールに、
例えば「いつも綺麗に写真を撮って頂いてありがとうございます」と添えるのです。
もちろん、いつもワンパターンの言葉ではなく、
私の文才を総動員して、都度その時の「感謝」の気持ちを伝えるようにしています。
メールだから、相手がどんな反応を示すかはわからないけれど、
相手の心のほっこりを想像するだけで、たまらなく楽しいですね。
「この言葉で相手の疲れがとれたらいいなぁ」とかそんなことを考えています。
 
本当に、この「感謝」の醍醐味は、皆さんに伝えたい気持ちで一杯です。
「感謝」の気持ちを伝えることで、
相手の「心」をほっこりさせることの「喜び」や「幸せ」がわかりますか?
おそらく今感じているものが、「世界」を肯定することの「喜び」なのでしょう。
そして、「世界」を肯定すると、「世界」も自分を肯定してくれる訳です。
 
私は今、「感謝」によって「幸せ」になっています。
 
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