「愛」の次は「信」

子どもの時は、親からの「愛」が必要。
このことは、多くの方が同意されることではないでしょうか?
 
では、大人になったら何が必要か?
「愛」・・・も、必要な人は必要でしょうが、
「愛」を必要とする時期は、いつか卒業するときが来ます。
 
私は、「愛」の次は「信」だと思うのです。
大人になったら必要なものは、他者から「信じられる」こと。
 
あなたは、他者から「信じられ」ていますか?
 
例えば、仕事をイメージして下さい。
何を目的に、お客様に貢献するのか?
 
「お金」のためにって言うと、「下心」ととられてしまうかもしれません。
しかし、「信頼」を得るためにって言うと、それを「下心」と言う人はいないと思うのです。
 
であるならば、私たちが仕事をして得るべき「真」なるものは、「信」であると考えます。
 
いくら売上を稼いでも、お客様から「信」を得られなければ、
それは、「人間的成長」を伴う「真」の仕事ではありません。
 
また、「給料」を渡していればそれで十分だと、
社員に「信」を与えない会社では、従業員は「真」の仕事をどんどんしなくなります。
そしてその会社は、社会から「信」を得ることができなくなるでしょう。
 
仕事をする大人達には、「信」が必要なのです。
就職活動をする学生さん達は、「信」を得られる職場を探すべきだと思います。
大企業では、「お金」を得ることはできても、
経営陣から遠すぎて「信」を得ることはできないかもしれません。
最も理想的な職場は、自分で「信じられる」経営者の経営する中小企業だと考える次第です。
 
恋愛についても、「信」こそが得るべきものだし、与えるべきものだと考えます。
例えば相手を束縛する恋愛は、単に「愛」を求めているだけ。
また、結婚していて相手の浮気を疑ってしまうのは非常に苦しいことでしょう。
 
「真」の恋愛とは、パートナーを「信」じ、パートナーから「信」じられること。
このお互いに「信」を与えられる関係とならなければ、
恋愛はいつしか冷え込んでいきます。
そう。恋愛で創りあげるべき「真」なるものも、「信」なのです。
 
私は恋愛は苦手分野ですが、恋愛の「本質」を考察するに、
容姿や年収よりも、「信」を与え合うパートナーに出会うことが肝要ではないかと思っています。
そして、そのためには自分が相手から「信じられる」ような人間性を獲得する必要があるし、
相手を「信じられる」ような度量や人生の見切りが必要となると思うのです。
 
と言う訳で、私の中の大人の定義は、
他者から「信」じられるような人格や言動を身につけ、
他者を「信」じられるような度量や人生の見切りを身につけること。
 
例えば、「感謝」は相手を「信」じているからこそできます。
「信」じていない相手に「心」からの「感謝」などできない。
 
このように、大人になってからの人とのつながりは、
「信」で全て説明できると考える次第です。
私から言わせれば、
いくら「お金」を持っていようと「権力」を持っていようと「容姿端麗」であろうと、
「信」じられる人間でなければ、大人の世界では通用しないし、
「真」に「幸せ」にはなれないと考えます。
 
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