「自信」の「本質」

「自信」
この「世界」を生きる上で、これほど重要なキーワードはない。
私は、これまでの「人生」から、そう感じています。
 
「自信」を持つと、人は変わることができる。
劣等感や嫉妬が消えるので、他者にストレートに感謝することができる。
自分が価値の中心となるので、「幸不幸」が他者の言動に左右されなくなる。
自分のあり方に納得をするので、どんな境遇も受け入れることができる。
 
間違いなく、「自信」は「幸せ」を構成する中心パーツです。
 
しかし、言うは易く行うは難し。
人間はなかなか「自分」を「信」じることができない。
 
私も、今までずっと自分に「自信」を持てませんでしたが、
最近「自信」を持つことができるようになりました。
どうやって「自信」を持つことができるようになったのか?
今回は、「自信」を持つための要素を丁寧に抽出したいと考える次第です。
 
まず、おそらく一番大切な要素は、他者から「信」を得ることだと思います。
単に、自分の思い込みだけでは「自信」を持つことができないようです。
他者から「信」じられたり「信頼」されたりといった実績が必要となります。
だから、「信」を与えてくれるような「職場」や「パートナー」はとても重要です。
 
ただし特殊な例として、永平寺の「心」を込めてぞうきん掛けする修行のように、
他者の存在が直接的にその場になくても、
そのピカピカの廊下を使う未来の誰かの「信」を感じとることができれば、
他者の評価を待たずとも自分一人だけで「自信」を持つことができるかもしれません。
 
それから、「自信」を持つためには、
必ずしも全方位的に「信」を受ける必要はないようです。
一部の人から「信」を得られるようになれば十分だと思います。
気まぐれな人間相手に、全ての人から「信」を受けるなんて、
宗教の神様でも無理な訳ですから。
 
では、「信」を得るためにはどうしたらよいのでしょう?
それは、「貢献」をすることだと思います。
「貢献」とは、他者の「幸せ」を願い、他者の「幸せ」のために動くことです。
 
今現在、あなたはどのような領域で「貢献」をしていますか?
職場ですか?家庭ですか?
そこでは、ちゃんと「信」を得られていますか?
「信」が不足しているのなら、もっともっと「貢献」領域を広げましょう。
一つに限定する必要なんて全くありません。
世の中には、従業員に「信」を与えない職場なんて五万とある訳ですから。
 
「社会活動」に参加することは、「信」を得るためのとても有効な手段だと思います。
なぜ、平日に仕事をして、土日に「社会活動」をする人々がいるのか?
普段の生活では獲得できない「信」を得るためという理由の人も少なくないでしょう。
人はパンのみに生きるにあらず。
「お金」だけに目をとられていると、「人生」を窮しますよ。
あなたは、パン以外に自分に必要なものをちゃんと見つけているでしょうか?
 
ところで、「社会的強者」が「社会的弱者」に勝てない能力があります。
何だと思いますか?
いろいろあるでしょうが、他者に「信」を与える能力がその一つです。
この生きる上で大切な「信」は、
恵まれた環境にいる「社会的強者」からはなかなか得ることができません。
ふんぞり返った社長にいくらヘコヘコしても、何も得るものはない訳です。
キリスト教には「弱者に仕えよ」というメッセージがありますが、
人生を「幸せ」に生きる上で非常に合理的手段であることがわかりますよね?
なぜなら、他者から「信」を得ることが、「自信」につながり、
「自信」が「幸せ」につながる訳ですから。
 
さて、他者から「信」を得る方法について、だいぶイメージを持てたでしょうか?
他者の「幸せ」を願い領域を限定せずに「貢献」することが、「信」を得る道となります。
例えば、私の日々描いているこのブログも「貢献」のつもりです。
読んでいる方の「幸せ」を「心」から願い、
「幸せ」への気づきや考察をできる限り漏らさずに表現して伝えるようにしています。
私は、ブログを通じて読んでいる皆さんから、「信」を頂戴している訳ですね。
読んで下さっている皆さんの顔が直接見えなくたって大丈夫。
永平寺のぞうきん掛けの修行のように、「信」をイメージできていますから。
お陰様で仕事でへこんでいる時も、
このブログから「生きる力」を得てこれまで生きてくることができました。
 
話が長くなってきました。
以下に今回の内容をまとめたいと思います。
 
(1)「幸せ」になるためには、「自信」が必要。
(2)「自信」を持てるようになると、
  他者にストレートに感謝できたりして、「自分」が変わります。
(3)「自信」を身につけるなら、他者からの「信」が必要。
(4)他者から「信」を頂くには、「貢献」を全方位的に発信するのが近道。
(5)全方位的に「貢献」を発信すれば、どこかから「信」が返ってきます。
(6)社会的強者は「貢献」への反応はにぶい。
 社会的弱者に「貢献」した方が効率的に「幸せ」になれる。
 
さてさて、このように「考察」を進めて行くと、
「幸せ」は「お金」では買えないなぁと、私なんかはしみじみ思う訳です。
例えば、「自信」は「お金」で買えますかね?
 
なんとなく「幸せ」の正体が、わかるようになってきたと感じる今日この頃。
お陰様で、「幸せ」を手に入れるための言動も実生活で実践できるようになりました。
 
私の「幸せ」を探求する旅は、いよいよ佳境に入ってきたようです。
 
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