「会社」の「幸せ」、始めました。

ここ最近仕事が忙しく、1週間ほどブログを描けませんでしたが、
また、再開していきたいと思います。
 
さて、私の仕事はコンサルタントです。
実はこの1週間、仕事をしている中で嬉しいことがありました。
それは、支援先の業務担当の女性と経営者と私の3名で打合せをしている時のこと。
 
女性がご自身の担当業務の報告を経営者にされた後に、
こんなことをおっしゃっていたのです。
 
「私の旦那が、私のやっている業務を、周りの同僚に自慢しているんです」
 
彼女の行っている業務は「管理会計」です。
会社の「経営状態」もしくは「健康状態」を細かに分析して毎月経営者に報告しています。
その分析結果を基に、彼女自身も経営者に提言したりします。
 
大企業で言えば、
経理部長もしくは役員レベルのことをパートさんである彼女がこなしている訳です。
私は、彼女を日本一の会計担当のパートさんだと思っています。
なにしろ、60人ほどの従業員を抱えている会社の経理に関して、
「仕訳」入力から、経営者への「会計分析報告」、
そして「分析結果に基づいた提言」まであらゆることを行っている訳ですから。
下手な大企業の経営部長だったら、彼女のやっていることに到底かなわないと思います。
 
なので彼女の旦那さんが、彼女の立派に果たされている業務のことを
自慢する気持ちも、私自身とてもよくわかるのです。
 
彼女の「責任感」や「貢献意欲」は、お見事としか言いようがありません。
そしてなにより、彼女が自身の仕事に感じている「喜び」「達成感」「誇り」が、
私にとっても本当に嬉しいことなのです。
本当にコンサルタント冥利につきます。
 
そしてもちろん、一緒に彼女の話を聴いていた経営者さんも嬉しそうでした。
 
私のやっているコンサルタントの仕事は、結構なハードワークなのですが、
支援先がこういう嬉しい状態になっていくと、私は大きな「幸せ」を感じます。
大袈裟に言えば、「使命」を果たした感じなのです。
 
「人」が「幸せ」になるために生まれてくるとしたら、
「会社」はメンバーが「幸せ」になるために存在していると私は「信」じています。
法律がどうであろうと偉い学者さんがどう言おうと、
「人」の集まりであり「人」の営みである以上、
「会社」は「人々」の「幸せ」のために存在するのです。
 
「売上」や「利益」は、決して「会社」の目的ではない。
「売上」や「利益」という「無機質」なもののために、
「人」が苦しんでいたら、「意味」がありませんね。
 
「会社」は「人」によって創られた。
ですから、「会社」は本来「人」のために存在するのです。
今は何故か主従が逆転している場合も散見されますが。
 
そしてこのように「考察」を深めていくにあたり、
私は思ったのです。
「人」の「幸せ」についての「考察」は一段落ついた。
次は、「会社」の「幸せ」を「考察」しようと。
 
「人」の「幸せ」の「本質」を突き詰めると、
一般的な「幸せ」への常識がいかにズレているかということがわかってきました。
同様に、いやそれ以上に、現状の社会における「会社」の「幸せ」のあり方は、
「本質」からズレズレである可能性があります。
 
まずは、皆さんに問いかけましょうか?
以下の「命題」が、「真」か「偽」か。
 
 「会社」は莫大な「利益」を上げていれば、「幸せ」なのである。
 
どうでしょうか?
この「命題」は、世間一般では正しいというのが「常識」になっているようですが。
 
現代の学校では教えていない「哲学」の力が、ここで必要となります。
一人ひとりが「真」か「偽」か、「善」か「悪」か、自身の「心」と「頭」で考えるのです。
 
「国」という創られた実体のない「疑似生命」が、
自らを「主」とし、人を「従」とするために、
自らの生存本能により、「個」から遠ざけようとしている禁断の学問「哲学」。
かの大哲学者ソクラテスも、当時の政府によって弾圧され死刑となりました。
しかし、「国」も「人」が創った存在である以上、
「国」も「個」の「幸せ」のために存在するはずなんですけどね。
 
さあ、これから皆さんと一緒に「哲学」の力を使って、
「人生」における強大な存在である「会社」について、
その「本質」や「正体」を見極めていきましょう。
 
これからの「新世界」は、「個」が光り輝く時代です。

 
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