「信」じられる者は救われる

ネットで気になる情報を見つけました。
 
子どもの頃に、親から感情的な叱責を多く受けた子どもは、
他者のために何かをする時に、無意識に他者の評価を気にしてしまい、
「完璧」を追い求める傾向にあると。
例えば、宅急便の伝票を書くという簡単な作業でも、
「不安」が「心」を襲い、
書いた伝票を何度も見直して、通常よりも多くの時間をかけてしまう。
 
そして「完璧」のハードルが高すぎるので、
しなければいけない作業に対して「面倒」という感情を抱いてしまう。
 
ああ、これは私だなって思いました。
私も「仕事」にものすごい時間をかけてしまいます。
そして「仕事」の取っかかりにも、大きな精神的負荷を感じてしまう。
 
「完璧」に囚われすぎると、「仕事」には「不安」がつきまといます。
そして、やった「仕事」に対して、自己評価で「満足」することが難しい。
そうすると、相手から頂く「信」が唯一の「救い」になる訳です。
 
お陰様で、何とか「人生」を懸命に歩いてきたら、
多くの「信」を頂ける方に巡り会い、
私は少しずつ「自信」を持てるようになりました。
 
「信」を頂ける方には、感謝してもし足りないと思っています。
暖かな「信」を頂いて、ようやく「心」の殻を破ることができるのですから。
「信」というものは、本当に有難い存在だと思います。
人を「幸せ」にするためには、「信」と「愛」さえあればそれで十分。
私は、そう思います。
 
「愛」と「信」は、両方ともとても重要な存在です。
ただ、「愛」は多くの人にその重要性が理解されているので、
私は「信」にこだわって生きていこうかなと思う次第です。
 
あなたは、自分の子どもを「信」じていますか?
あなたは、自分のパートナーを「信」じていますか?
あなたは、自分の部下を「信」じていますか?
あなたは、自分の上司を「信」じていますか?
あなたは、自分の目の前にいる人を「信」じて、優しい「笑顔」をちゃんと向けていますか?
 
「愛」が与えるものなら、「信」は受け入れることです。
気づいていますか?
与えることよりも、受け入れることの方が難しいことを。
 
私はコンサルタントを「仕事」としています。
私が最も心がけていることは、
まずは経営者の方や担当者の方のやってきたことを「信」じて「承認」すること。
そうやって、「心」を楽にしてあげることが大事だと思います。
 
「会社」は「人」なり。
 
経営者に叱責されすぎて縮こまった従業員の「心」に、もう一度「情熱」と「喜び」を。
「自信」を失った経営者の「心」に、もう一度「希望」と「自由な翼」を。
 
私は、「信」じることで「人」を救います。
 
Support Wikipedia