利己的「感謝」のススメ

「感謝」は「幸せ」と直結しています。
 
なぜなら、こんな実験結果があるからです。
(関連過去ブログ:人の「不幸」は蜜の味?じゃあ、「幸せ」は何の味?」
 
その実験は、社会心理学者ノバート・シュワルツ教授が1988年に行いました。
彼は学生達に二つの質問をしたそうです。
まず「あなたの人生はどれくらい幸せか?」という質問。
次に「この1ヶ月に何回デートをしたか?」という質問。
この場合、二つの回答には有意な相関関係がありませんでした。
さて、今度は別の学生達に順序を逆にして同じ質問をしました。
そうすると、今度は両者の回答に高い相関関係が現れたのです。
 
すなわち、自分にとって「嬉しい経験」「有難い経験」を思い浮かべれば、
実際に「幸せ」な気持ちになれるということです。
 
ここに、「感謝」が「幸せ」に直結する理由があります。
「感謝」とは、自分が嬉しくなることをしてくれる人や事のことを思う行為です。
そういった自分に好ましい存在を思えば思うほど「幸せ」になれるのですから、
これほどお得な話はありません。
 
「感謝」は、自分の「幸せ」のために。
ですから、「感謝しろ」とふんぞり返る人に無理矢理「感謝」なんてする必要はない。
「感謝」したら、自分の「心」が心地よくなる人に対して「感謝」をすればよいのです。
 
「感謝」は人のためならず。
「自分」のために利己的に「感謝」をして、どんどん「幸せ」になりましょう。
 
例えば、寒い季節の暖かな日差し。
例えば、いつもニコニコ笑顔の暖かい「心」の人。
例えば、自分のことをいつも心配してくれる大切な人や家族。
例えば、自分のことを信じてついてきてくれる子どもや部下。
例えば、どんなに辛くても一生懸命頑張ってくれる自分。
 
確かに世の中は、「悪意」に満ちて理不尽なことだらけですが、
そんな中でも自分に味方してくれる本当に奇跡のような有難い存在がいます。
そういった貴重な人達のことを思えば、「幸せ」を実感することは容易です。
 
私は常々、「幸せ」は噛み締めるモノだと考えてきました。
「幸せ」なんて希少なモノは、そこらに転がっている訳がないのです。
ですから、新たな「幸せ」を追い求めるのでなく、
今までの「人生」の中で出会った旧知の「幸せ」を大切にする。
そんな「心」の練習をしていきませんか?
 
パラリンピック創始者ルード・ヴィッヒグッドマン博士は言いました。
「失ったものを数えるな 残されたものを数えろ」
自分なんかのために、よくしてくれる人達、優しくしてくれる人達。
このひどい世界に残されたそんな「奇跡」のような人々の存在を噛み締めて、
自分をどんどん「幸せ」にしていきましょう。
 
自分が「幸せ」な気持ちになれない「感謝」なんて、する必要はありません。
あくまで自分の「幸せ」のために、利己的に「感謝」を活用するのです。