「世界」を動かせ!

「生きる気力」を湧き立たせるには、どうしたらよいか?
今日は、その解決策を一つ提示したいと思います。
今回のブログが、同じような境遇で苦しんでいる方のお役に
多少なりともなりましたら幸いです。
 
さて私は、ここ数ヶ月なんとなく心身のバランスを崩していました。
今は、ようやく長い長いトンネルを抜けられるかな?というところです。
 
このトンネルからの脱出にあたり、
私は「生きる気力」を湧き立たせる一つの源泉に気づきました。
それは、「主体的」に「世界」に関わっているという意識です。
 
人間の一日は、「受動的」な時間に満ちあふれています。
生きていくために、時間をかけて仕事をする。
仕事をするために、時間をかけて通勤電車に乗る。
腹が減るから、時間をかけて食事をとる。
必要に迫られて、人の時間はどんどん消失していきます。
「世界」の「あり方」が、「人」の「生き方」を決めていく。
そんな操り人形のような状況で、
はたして「人」は「生きる喜び」を感じられるでしょうか?
 
「いや、俺は自分の意思で動いているのだ!」
こう思えれば、よいかもしれません。
しかしそれでも、
結果として「世界」の「あり方」に合わせることに必死になって生きているのだとしたら、
やはりそこに「生きる喜び」を見いだすことは非常に難しいのではないかと思う次第です。
 
このように考察していくと、真に「生きる喜び」を感じる「生き方」は、
「世界」の「あり方」が「人」の「生き方」を決めるのではなく、
「人」の「生き方」が、「世界」の「あり方」を変える。
そんな場合ではないでしょうか。
 
「世界」の「あり方」を変えると言っても、
何も政治家になるとか経営者になるとかそんな大それたことでなくてもいいと思っています。
例えば、週末にボランティアをするというのは、
立派に「世界」の「あり方」を変えていると私は思うのです。
ほっといたら「世界」の「あり方」に苦しめら続けている人たちの力になるということは、
主体的に「世界」の「あり方」を変えようとする行為に他なりません。
例えば、ゴミ拾いのボランティアだって。
そのゴミ拾いが仕事でなく、自身の「意思」で行っているのだとしたら、
ほっといたらゴミだらけになるその場所は、あなたによってよい変化を受けます。
これは、あなたが主体的に「世界」の「あり方」に干渉していると言える訳です。
あなたが生まれてきたから、あなたが生きているから、その場所はきれいになった。
そこに、あなたの生きている「意味」が濃密に現れる。
 
またボランティアでなくても、
自らの意思で絵を描いたりや写真を撮ったり小説を書いたりブログを描いたり、
それを見て誰かの「心」がよい影響を受けるのだとしたら、
それも立派に「世界」を動かそうとしている行為に他ならない。
業務上の「指示」ではなく、自らの「意思」で「世界」を相手にする時、
そこに今まで感じることのできなかった「生きる喜び」が見えてくる。
 
もちろん、自らの仕事で主体的に「世界」を動かす感覚を持てればよいのですが、
相手から「お金」をもらっている以上、よほどの価値を生み出していなければ、
その「生きる喜び」は感じることができないと、私は最近思うようになりました。
「お金」が介在すると、
「人」と「人」の本来の正常な「心」のつながりは阻害されます。
 
「お金」から解放された状態で、
他者から見たら「物好きだね」と思われるような何の「得」もないことで、
「世界」に主体的に働きかけるところに「生きる気力」が湧き出るのではないでしょうか。
 
今現在「生きる気力」が湧かない人達に、
仕事以外の「生きる軸」を持つことをお勧めします。
あなたが生まれて、「世界」の何かが変わる。
例えそれがささやかな変化だとしても、
少しでも「世界」がよくなるのであれば、そこに生まれた「意味」を感じませんか?
しかも人は皆、生まれ持った才能やハンデ、生きてきた環境が異なります。
政治家や偉い人でもできない、あなたにしかできないことが必ずあるはずです。
それだけ、「世界」は「苦しみ」や「不具合」に満ち満ちているのですから。
「世界」は、あなたを待っています。