「カネ」は死んだ!

「神」は死んだ!
ニーチェは言いました。
 
ニーチェは、キリスト教が絶対だったヨーロッパの思想体系に、
神の教えではなく、人間が自身の力で思想することを訴え、
「神」は死んだ!と宣言した19世紀の哲学者です。
 
ニーチェ以前のヨーロッパは、
キリスト教的であることが人々の絶対的な価値観でした。
 
キリスト教の下に、多くの善い行いをし、
キリスト教の下に、十字軍を遠征し、魔女狩りを行い、南米大陸で大虐殺をしました。
 
キリスト教は、人々のおおむね理性的な行動規範として、
社会に大きなプラスの効果をもたらしました。
しかし一方、キリスト教というマインドウィルスは、
人という動物が本来持っている「共感」や「優しさ」を麻痺させて、
他者への拷問や人殺しを容認させるという副作用も持っていた訳です。
 
また、地球が太陽を回っていると言ったガリレオ
進化論を提唱したダーウィンは、
キリスト教により異端者とされ迫害を受けました。
 
そんな、当時絶対の価値観に対し、
「神」に従って生きることは誤っていると提唱したのがニーチェという訳です。
 
「神」は死んだ!
 
この言葉の価値の重さを創造できますか?
この言葉は、天動説に対する地動説のように、私たちの価値観を大きく変貌させました。
人類が一つ上の段階に成長したと言ってもいいでしょう。
 
さて「神」が死んだ後、私たちは自分達で考えた法律というルールの下に、
合理的に暮らしています。
お陰様で、不合理な宗教の教えで善悪が決まることはなくなりました。
 
では今現在、私たちは完全に不合理な価値観から解放されて、
(法律という社会上の制約はありますが)
自身の価値観で自由に判断できると言えるのでしょうか?
これを読んでいるあなたはどのように感じていますか?
 
タイトルを読まれた方は、ご想像されていると思いますが、
私自身は、「神」亡き後も、
人間の良心という価値観は何者かに「拘束」されていると考えているのです。
それは、その人間を拘束するものとは「お金」です。
 
「お金」のために、殺人が起き戦争が起きています。
多くの人は、「お金」のために脅されたり騙されたり、悲しい目にあってきています。
遺産相続で兄弟が憎しみあい、生命保険欲しさに親が子どもを殺します。
 
「お金」によって、
人間という動物が本来持っている「共感」や「優しさ」が損なわれているのです。
私は、「お金」は必要な分だけあればよく、
過剰な部分は困っている人に回せばいいと考えています。
 
「そんな非常識な!」って思いますか?
 
確かに今は、「お金はあればあるほどよい」というのが常識だと思います。
 
だけど、今地球を遠くから眺めている異星人がいたとして、
彼らの目には、
「まだお金に支配されているんだ、遅れた文明だなぁ」と映るかもしれませんよ。