「共生」

イソギンチャクを自分の貝殻の上に乗せたヤドカリを見たことがありますか?
そのヤドカリは成長して新しい貝殻に引っ越しするときも、
自分のハサミでイソギンチャクを新しい貝殻に移し替えます。
 
彼らは「共生」しているのです。
 
ヤドカリは、イソギンチャクに用心棒をしてもらっています。
一方、本来場所を移動できないイソギンチャクは、
ヤドカリに運んでもらうことで、生存場所の環境悪化を回避できるのです。
また、イソギンチャクはヤドカリの食べた食事のおこぼれにも預かれます。
 

 
異なる種族の動物同士の関係は、実に様々です。
「捕食関係」「寄生関係」「共生関係」。
 
ところで、多くの人が動物達の「共生関係」をテレビ等で見ると、
ほっこりとした気持ちになるのではないでしょうか。
無慈悲な弱肉強食の世界においては、助け合う関係にことさら心惹かれるのだと思います。
変な例えですが、ヤクザ映画において仁義の描写が美しく見えるようなものでしょうか。
 
私も、この「共生関係」を築けたらいいなと思っています。
それは、特に「心」の面において。
 
例えば、人と人との関係においては、
やはり「愛」と「信」を循環させていきたい。
 
「愛」を提供すれば、「信」を頂き、「心」が嬉しくなります。
それから、少し難易度が上がりますが、
どんな人の発する「愛」にもしっかりと反応し、「信」を提供したい。
そうすると、お互いの「心」が嬉しくなる。
 
また、仕事においても、「共生」していきたい。
私の仕事はコンサルタントですが、
単なるお金の関係を越え、
クライアントの会社さんも私も、
お互いがお互いを必要とする「心」の関係を築けたらいいなと思います。
私は、必要とされて、頼って頂き、自身の存在を承認頂くような、
そんな環境でお仕事ができれば、それで「幸せ」です。
そして、クライアントの会社さんには、私の力も使って頂いて、
その会社の咲かすべき「花」を咲かせて頂きたい。
会社さんのそんな素敵な「花」をいくつも咲かせることができたら、
私自身の仕事人としての「花」も咲くことでしょう。
 
「共生」でない仕事は、疲れます。
「これだけお金を払っているのだから、ちゃんと仕事をやってくれよ」と
クライアントさんが感じているうちは、「共生」ではなくまだ「寄生」の段階。
仁義なき弱肉強食の資本主義社会で創りあげる「共生」関係は、
動物達の「共生」と同様に、稀少で価値の高いものだと思います。
 
会社にお勤めの方も、会社との「共生」ができると「幸せ」な仕事ができるはず。
「会社」から「愛」や「信」を、ちゃんと頂けていますか?
「給料」だけの関係では、必ず「疲弊」すると思います。従業員も会社も。
 
そんな訳で、「幸せ」な社会を目指す上では、
「共生」というワードは欠かせないと私は考えますね。
 
そういえば、冒頭のイソギンチャクとヤドカリのコンビ。
新しい貝殻に引っ越すときに、
元の貝殻に乗っているイソギンチャクをヤドカリがつつくと、
イソギンチャクは自ら元の貝殻を離れるそうですよ。
また、ヤドカリが自発的にエサをイソギンチャクにわけてあげる場面も
観察されています。
 
この二人の関係に、種の壁を越えた「愛」と「信」を感じるのは私だけでしょうか?