「心」の「エネルギー」問題

キリスト教の「七つの大罪」。
「傲慢」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「強欲」「暴食」「色欲」。
 
私はこの7つを、人の「欲」を構成する要素と捉えていたのですが、
最近「怠惰」だけは「欲」に含まれないのではないかと考えるようになりました。
「怠惰」は、他の6つとは別軸の要素だと思うのです。
 
例えば「怠惰」以外は、全てアクションを喚起するのに対し、
「怠惰」は、逆に人のアクションを封じてしまいます。
他の6つの「欲」は、生きる力を生み出すのに対し、
「怠惰」は、生きる力が出てこない状態です。
また他の「欲」と違って、「怠惰」な状態は決して心地よいものではありません。
ニートの方を始め、「怠惰」である人は、
自分も周りの人のようにもっと動けたらと願い苦しんでいるのです。
ある意味、「欝」の状態とも重なります。
 
そのように考えると、
「怠惰」とは「欲」ではなく、
「心」の「エネルギー」が枯渇した状態を指し示すと私は考えます。
 
そう、「心」には「エネルギー」が必要なのです。
特に「怠惰」や「欝」に苦しんでいる人には。
 
じゃあ、その「エネルギー」はどのように創出したらいいのでしょうか?
私は「発電所」を建築する必要があると考えます。
「心」の中の仕組を利用して、エネルギーを起こすのです。
 
さて、実際の現実世界の「発電所」には様々な種類があります。
水力発電所」「火力発電所」「原子力発電所」「風力発電所」「太陽光発電所」など。
それぞれが異なる仕組を利用して、「エネルギー」を産み出しているのです。
 
「心」にも、「発電所」に活用できるいくつかの仕組があると考えます。
例えば、「憎しみ」や「怒り」。
これらは、暴走すると危険ですが、
うまく制御できれば力強い「心」の「エネルギー」を産み出します。
そう。まるで「原子力発電所」のように。
 
それから、「欲望」による発電も効果的でしょう。
「心」の環境は多少悪化するかもしれませんが、
安定的に「エネルギー」を産み出せるかもしれません。
さしづめ「火力発電所」と言ったところでしょうか。
「欲望」が枯渇しない限り発電できます。
 
あと私の実体験から言えることは、
規則正しい生活が「エネルギー」を生むということです。
これは、地球環境がうまく循環すれば「エネルギー」を得られる
水力発電所」に相当します。
 
更には、「風力発電所」。
これは、自分以外の「誰かのために」という想いが「エネルギー」を生み出します。
家族のため、社員のため、国民のため、弱者のため、「幸せ」にしたい誰かのために。
 
そして、大きな「太陽」を空に掲げることで、
そこから「エネルギー」を得ることも可能です。
すなわち「太陽光発電」。
自らの「使命」を掲げて、生きる「エネルギー」を創出する試みです。
 
ただ現実世界と同様に、
「クリーンエネルギー」では大量の「エネルギー」を得ることは、
なかなか難しいように思います。
 
「欲」を排除する生き方を目指す人は、
しっかりと「クリーンエネルギー」で発電する仕組を構築しないと、
「エネルギー」不足で苦しむことになるかもしれません。
「クリーン」に生きるには、「知恵」や「工夫」が必要なのです。
今後、そこら辺の所を「考察」していきたいと思います。