「年輪人生」

樹木は常に「成長」しています。
そして木の「年輪」を見れば、その木の「成長」を目で確認することができる訳です。
冬場の厳しい時期に「年輪」の濃い輪郭が描かれ、
春から夏場にかけて幹が大きく「成長」の伸びしろを「年輪」に刻みます。
「年輪」を見ていると「命」ってやはり「成長」するものなんだなと、
改めて感慨を深める次第です。
 
そして樹木と同様に、「人」の「心」も常に「成長」しています。
「年輪」のように「成長」の過程を確認することはできませんが、
おそらくどんな「人」の「心」にも「年輪」は刻まれているはずです。
なぜならば、皆「心」の冬の時期があるから。
 
自身の「意思」ではなんともならない時期が「人生」には幾度となくやってくる。
その時は、「苦しみ」や「悲しみ」に覆われ、
なすすべもなくただただ流され耐えるのみです。
 
しかし束の間、その「理不尽」から解放される時期が必ずやってきます。
その時期が「成長」の伸びしろなのです。
そのことを意識すれば、効率よく「心」の「成長」を深められると考えます。
 
次の冬に備えて、またこの理不尽だらけの「人生」を旅する「意味」を考えれば、
私たちはなるべく大きな「年輪」を刻むことを目指すべきなのでしょう。
 
私も、つい最近までの冬の時期が終わりました。
春の到来です。
少し達観し、そして余裕の出てきたこの時期に、自らの「年輪」を大きく広げたいと思います。
ついでに、束の間の暖かな日差しもあるので、ここらで思いっきり「葉」も広げたいですね。
 
そして、最後に美しい「花」を咲かせる。
 
この世の「理不尽」も「不幸」も「失敗」も、あなたを傷つけることを目的とした存在です。
しかし樹木という「生命」は、
したたかにその「世界」の「悪意」をも活用して「成長」します。
「年輪」をしっかりと刻むことで、
「理不尽」な強風や台風にも負けない丈夫な幹が育つのです。
そして、これでもか!というように、「悪意」の間隙を突いて、
「幹」を太くし「根」を地中深く伸ばし「葉」を茂らせる。
そして「花」を咲かせて、それまでの冬の陰鬱な風景をも一変させてしまうのです。
 
気づいていますか?
「春」や「夏」の風景があんなにも「美しい」のは、
全て「生命」の頑張りのお陰であることを。
 
あなたは、どんな「花」をお持ちですか?
皆、持って生まれた才能やハンデ、育った環境、出会ってきた理不尽や縁が違うので、
それぞれが咲かす「花」は、正真正銘世界に一つだけ。
そして、その「花」はどんな宝石よりも美しい。
 
将来咲かせる「花」を想って、生きましょう。
その自分の「花」を想えば、きっとふりかかる「理不尽」をも消化することができる。
そしてきっと、春や夏の間に、
「幹」や「根」や「葉」を「成長」させることを嬉しく思うようになる。
 
外に出て、足下の草を眺めましょう。樹木を見上げましょう。
この季節まさに「生命」は、「成長」の「喜び」の中にいるのです。
そんな彼らの「喜び」を感じるので、春には私たちの「心」もウキウキしてきます。
 
彼らの「生」を感じ、
「生きる」こととは何なのか?ということに想いを巡らせれば、
きっと何か見えてくるものがあるはずです。
「神」のような高尚で難解な存在から学ぶことは少なく、
「生命」のようなシンプルで真っ直ぐな存在から学ぶことは非常に多い。
 
私が彼らから感じ、学んだことは、
「成長」こそが「生」の「喜び」であり「答え」であるということです。
これからもっともっと味わいのある「年輪」を刻みたい。
今は、私の「心」がそれを求めています。
長らく苦しんできた「怠惰(心の逡巡)」からも卒業できそうです。
 
ようやく、本格的な「春」が見えてきたかな。