グノーシス主義
「グノーシス主義」という紀元2世紀から3世紀頃に信仰された宗教があります。
キリスト教から分派した一体系ではありますが、
その思想は本来のキリスト教の教えに反逆するような内容であり、
キリスト教の中でも「異端思想」と呼ばれています。
その思想は、現在では衰退し、イラク南部にマンダ教という宗派として
5万から7万の信者が存続するのみです。
場所はイラクではありますが、イスラム教ではなく、
彼ら信者は、イエス・キリストの先達である洗礼者ヨハネを指導者と仰いでいます。
さて、「グノーシス主義」とはどういった考え方なのでしょうか?
ウィキペディアから引用しますと・・・
グノーシス主義は、地上の生の悲惨さは、この宇宙が「悪の宇宙」であるが故と考えた。 現象的に率直に、真摯に、迷妄や希望的観測を排して世界を眺めるとき、 この宇宙はまさに「善の宇宙」などではなく「悪の宇宙」に他ならないと考えた。 これがグノーシス主義の「反宇宙」論である。 宇宙が本来的に悪の宇宙であって、 既存の諸宗教・思想の伝える神や神々が善であるというのは、 誤謬であるとグノーシス主義では考えた。 ここでは、「善」と「悪」の対立が二元論的に把握されている。 善とされる神々も、彼らがこの悪である世界の原因であれば、 実は悪の神、「偽の神」である。 しかしその場合、どこかに「真の神」が存在し「真の世界」が存在するはずである。 悪の世界はまた「物質」で構成されており、それ故に物質は悪である。 また物質で造られた肉体も悪である。 物質に対し、「霊」あるいは「イデアー」こそは真の存在であり世界である。 善と悪、真の神と偽の神、また霊と肉体、イデアーと物質と云う「二元論」が、 グノーシス主義の基本的な世界観であり、 これが「反宇宙論」と合わさり「反宇宙的二元論」という思想になった。 |
今回、ちゃんと調べてわかったのですが、
このグノーシス主義、実は私が「考察」してきた考え方と非常に似ています。
特に、「世界」を「モノ」と「生命」の二元論として捉え、
「肉体」や「欲」は「モノ」の側に属するというあたり。
自分達「生命」をこの「世界」を認知している「主体」と捉えれることができれば、
洪水や大震災等の天災で人々に「理不尽」な「苦しみ」を与える「モノ」や「世界」は、
私たちサイドの存在でないことがわかるはずです。
もともとキリスト教やユダヤ教より前に存在したギリシャ神話でも、
主神ゼウスは人間に害をなす存在となっています。
なにしろ、人間に災いもたらすために彼は「パンドラの箱」を送りつけてきたのですから。
また、聖書の有名なネタでこんな話があります。
聖書では神と悪魔がそれぞれ人を殺していますが、
悪魔が殺した人数10人に対し、神は2,038,344人も人を殺しているのです。
はたして「神」を信じて、私たちは本当に「幸せ」になれるのでしょうか?
我々「生命」が「幸せ」になるためには「神頼み」でなく、
我々自身を信じた方がよいのではないかと思います。
しかし、ただ「モノ」を否定するだけでは、そこから何も生まれないと思います。
例えば、私はPCという「モノ」を利用して、自らの「考察」を進めている訳です。
「モノ(欲を含む)」と敵対するのではなく、
同じ場所に存在する同居人として「モノ」を受け入れ、
「陰陽」的に調和することが、全ての「成長」を育むのではないかと考えます。
私たち「生命」は、どんな方向に「成長」していっているのか?
この「世界」とは何なのか?
そういった最も大局的な観点に基づいて日々行動すると、
「個」への「執着」もなくなり、
迷うことなく「幸せ」に直行できるのかなと思ったりしています。