「足らず」を知る

この「世界」は、自分の「心」以外の全てのものが「有限」である、
というお話を前回のブログでいたしました。
 
生きるにあたって、あらゆるものが「有限」です。
モノ然り、エネルギー然り、1日の時間然り、お金然り、寿命然り。
それから、「負の感情」や「欲」も、同様に「有限」だと考えます。
永遠に愛することはできても、永遠に憎むことはできません。
なぜならば、「良心」こそが私たちの本質であり、私たち自身だからです。
 
もちろん、中には永遠に続かない「愛」もあるでしょうが、
その「愛」にはきっと「損得」や「打算」という「欲」の要素が含まれています。
マザー・テレサの行うような無償の「愛」は、
収束することなく「無限」に存続し「無限」に広がるのです。
 
ところで、日頃私たちは「永遠」を生きるような感覚で日々を生きています。
いつか「寿命」が来ることは、頭でわかっているのにも関わらず。
 
その「永遠」に生きているという感覚を、私は錯覚だとは思わないのです。
むしろ、この感覚は正しく、
この「有限」の世界においては、
私たちの「心」だけが「無限」あるいは「永遠」なのでは?と夢想します。
きっと、生まれる前も死んだ後も、
私たちの「心」は何かしらの形で「有り」続けるのではないでしょうか?
 
死んだら「無」になるとよく言いますが、
この「私」という感覚が「消失」することを、うまく想像できる人なんていません。
「寝ているときは「無」になるでしょ?」と考える人もいるでしょうが、
寝た後は必ず目覚める訳ですから寝るという事象は「私」の「消失」ではない訳です。
しかも、寝る前と寝た後で「時間」は経過しているかもしれませんが、
「私」という「感覚」は、寝てから起きるまで、断絶なく繋がっています。
だとしたら、この「私」という絶対的な感覚は、
死んだ後も「消失」せずに、連続した意識としてどこかで目覚めるということも
十分にあり得るのではないでしょうか?
 
そもそも、実はこの「世界」に「無」なんて存在しないんです。
「質量保存の法則」「エネルギー保存の法則」「E=mc²」
何らかの化学反応や物理反応等でモノが目の前で消えたとしても、それは形を変えただけ。
決して無くなることなく、そこに有り続けているのです。
例えば「物質」と「反物質」がぶつかって対消滅した場合においても、
消滅した質量に見合うエネルギーがそこに現れます。
本質的に何かが「消失」することなんて、あり得ないのです。
だから私たちは、
自分という「有」が「無」になるなんていう存在しない現象を想像することができません。
 
という訳で、「心」は「無限」であると、私は推理するのです。
 
さて、そんな「無限」な「心」が、「有限」な「この世界」に現れたときに、
ものすごい「葛藤」や「苦悩」が「心」に現れることは必然だと思います。
 
それが私たちの「苦しみ」や「不幸」の始まりなのです。
この「苦しみ」を回避するためには、
今いる「世界」が「有限」であることを「心」から納得しないといけません。
すなわち、「足らず」を知る必要があるのです。
 
そうでなければ、「おかしい、無限ではないのか?」と
いつまでもギャップに苦しめられてしまいます。
 
「無い」ものは「無い」んです。
 
「無い」ものをいつまでも追わずに、
この「世界」が、何から何まで「有限」であることを理解しましょう。
 
「無限」に「時間」を使うことなんてできない。
「無限」に「気力」なんて湧いてこない。
人に「無限」の「愛」を求めない。
人を「無限」に助けることなんてできない。
「無限」の「才能」や「能力」なんてない。
 
「無限」を求めるような「無い」ものねだりを止めて、
「有限」を創意工夫で活用するのです。
そうすることで「苦しみ」から解放されて、
正しい方向への「努力」を行うことができると私は考えます。
 
さて私は、「この世界」の「本質」を「不足」だと捉えています。
「この世界」が「有限」であるため、私たちは「この世界」で「不足」を体験する訳です。
そしてもう一つ、「この世界」で体験できる感覚があります。
それが、「不足」ゆえに生まれる「一生懸命」という感覚なのです。
 
繰り返します。
 
 この「世界」の「本質」は「不足」です。
 そして、私たち「生命」は、この「世界」で「一生懸命」を知ります。
 
世の中の苦しんでいる人達へ。
今、あなたが苦しんでいる原因は、理想を追い求めても解決することはありません。
なぜならば、この「世界」は全て「有限」だからです。
見限りましょう。
他者からの「理解」を「無限」に求めてはいけません。
他者からの「愛」を「無限」に求めてはいけません。
他者からの「信」を「無限」に求めてはいけません。
「お金」や「借金」も、今有る金額が全てです。
自分の「評価」や「名誉」も、今自分に向けられているわずかなものが全てです。
仕事に追われて自分の「時間」を持てない人も、その今有る「時間」が全てなのです。
 
そして、間違いなく言えることは一つ。
誰から何と言われようと、あなたは「一生懸命」やっているのです。
他者から無理解な心ないことを言われても、
他者の「愛」や「信」が有限なのだから仕方ない。
もうそこは見限って、前に進みましょう。
 
この「世界」において、唯一「無限」なのが、あなたの「良心」であり「愛」です。
このことも、よく理解しましょう。
「無限」のあなたを救えるのは、「無限」なあなた自身の「愛」と「信」以外にありません。
 
それにしても、可哀想な「有限」の「世界」。
あなたが無事立ち直ったら、
今度はあなたの「無限」の「良心」と「愛」と「信」で、「世界」を癒しませんか?
感じるでしょう?
「良心」と「愛」と「信」のみは、「無限」に「心」から湧き出てくることを。
 
私も、この「無限」の「良心」と「信」と「愛」で、
この「有限」の「世界」を照らしていきたいと、「心」から願っています。
そして、それが不可能でないことを「心」から「信」じているのです。