「助けたい症候群」

「助けたい症候群」という言葉を、インターネットで見つけました。
 
もともと、私は「助けたい」という気持ちが強い。
あるいは、「見捨てる」ということに非常に抵抗を感じます。
 
それは、私自身の「共感」「優しさ」ゆえと考えていたのですが、
「助けたい症候群」というネットの記事を見て、
どうやら他にも背景があるのかなと考え始めた次第です。
その記事によれば、
「助けたい」という気持ちは、自身の過去の「体験」から引き起こされます。
 
それは、私が生きてきた今までのいつかどこかで、
私が「助けて欲しかったのに、助けてもらえなかった」体験が、
「目の前の苦しんでいる誰かを助けたい」という強い衝動を生み出しているというものです。
 
その体験は、以前の会社で受けた「いじめ」によるものかもしれない。
それとも、もっと昔にも「助けて欲しい」と願うことがあったのかもしれない。
 
ただ、この「誰かを助けたい」という強い気持ちは、
私の「人生」の役にも立っています。
例えば、私の仕事はコンサルタントなのですが、
困っている相手を「助けたい」という気持ちが、
仕事を遂行する強いモチベーションとなっています。
ですから、一般の人よりも多少なりとも
粘り腰で踏ん張った貢献ができているのかなと感じている次第です。
 
また、仕事以外にも「助けたい」人は、たくさんいます。
私は、その人たちが「助けられた」なら、自分のことのように「幸せ」です。
 
そういう「人生」でも、全然悪くはない。
誰かを助けていれば「幸せ」になれるという「人生」の答えが見えている訳ですから。
 
だけど、「誰かを助けたい」という気持ちが本当は、
「過去の誰にも助けられなかった自分を助けたい」という気持ちの投影だとしたら・・・
 
「誰か」と同じくらい「過去の自分」も助けないといけないのかもしれない。
 
確かに思い当たる節はあるのです。
「ずっと誰かの助けを求めて苦しんでいた自分」が「心」の中に見えます。
 
私は、「他者」に期待をしない。
さんざん「助け」を求めたのに、裏切られたから。
 
「他者」は、誰も助けない。
「自分」を助けられるのは、「自分」以外にはあり得ない。
だから、やはり、私が「誰か」も「過去の自分」も助けるしかないのです。
 
私は、このブログを通じて、「他者」を助けたいという想いを綴ってきました。
これからは「他者」に加えて、「過去の自分」も「助け」の対象です。
 
全ての、「苦しんでいる」人たちを、何とか助けていきたいと、
私は「心」から願います。
本当に「心」から。
 
絶対に「助ける人生」を送って、この理不尽な「世界」に一矢を報いてやるのです。