「モノ」に頼らず、「時間」を「幸せ」に過ごすこと

「モノ」に頼らずに「幸せ」になれるのであれば、
「お金」もあまり使わないので
「お金」のために過剰に働く必要もなくなり、
「生存」のための「時間」や「心」の「コスト」を大幅に削減することが可能です。
 
この状態を世間一般では「貧乏」というのかもしれません。
「貧乏暇なし」という言葉がありますが、
確かに「お金」も「時間」もない「生活」というものは、大変辛いものです。
しかし、「生存」のための「コスト」を「意図」的に切り下げて、
「お金」の産出力は低くても、「時間」長者になることを目指すとしたら、
それは「貧乏」というよりは、
「スリム」もしくは「スマート」な「生き方」という表現の方が相応しいのだと思います。
 
実際に、人に対して「ドケチ」というと言うと印象が悪いですが、
科学的に研究されている企業経営においては、
「ドケチ」な会社は優秀であると言われるのです。
「ドケチ」に経費を削減できるなら、
すなわち「利益」を出しやすい「体質」の会社を創れているということになります。
 
「人」にとっての「利益」とは、「幸せ」です。
「幸せ」を生み出しやすい「ライフスタイル」というものは、
残念ながら「企業経営」ほど真面目に研究されていません。
 
そこで、私は真面目に考えるのです。
はたして「人」が「人生」において、
効率よく効果的に「幸せ」を生み出す「ライフスタイル」とは、どういうものなのか。
 
「お金」と「時間」は、おそらく「幸せ」算出式の重要な構成要素です。
 
さて私は、「お金」を稼ぐ才能のある人には、
存分に稼いで「幸せ」になって欲しいと思っています。
しかし、多くの人は「お金」を稼ぐ「才能」に恵まれず
「お金」のために、「幸せ」の源泉となる「時間」を奪われて生きているのが現状です。
学問として「幸せ」な「ライフスタイル」を考察するのなら、
一部の人間だけが享受できる「お金」を稼いで「幸せ」になる方法ではなくて、
万人に対して「幸せ」を提供できる方法を模索しなければならないと考えます。
 
ところで、「お金」を稼ぐ才能がある人も一般の人も、
「幸せ」を味わうには、豊かな「時間」が必要です。
「お金」を稼ぐ才能のなる人は、
自分の時間に「お金」を大量に投じて「幸せ」を実感しようとします。
 
会社で考えると、花形企業が大量の経費を使って存続しているようなものです。
バブルの頃の大企業では、
深夜まで社員が飲み歩いて、
タクシーチケットで家まで帰ることが当たり前に行われていました。
そんな華やかな大会社で働くことこそがステータスであり「幸せ」だと、
当時の多くの人々は本気で考えていたのです。
 
しかし、バブルがはじけて、現在の理想的な企業像は、
ムダな経費を削減して「スリム」で「スマート」な、
「利益」を生みやすい体質を実現できる会社となっています。
 
「企業」の目指すべき「理想像」は、バブル前とバブル後で、大きく変わったのです。
 
しかし、「人」の目指すべき「理想像」の方は、今も昔もそんなに変化していません。
世間一般には、
「金持ち」となって大量の「消費」をすることが、
「幸せ」の形態として定着しているものの、
それ以外に明確に、
「ああ、こんな生き方をしてみたい」という憧れの対象となる共有「ヴィジョン」は、
存在していないのではないでしょうか。
 
そんな訳で、私は、
一部の「金儲け」の才能がある人だけでなく、
万人が無理なく「幸せ」を生み出せる「生き方」の「ヴィジョン」を
提唱したいと考えています。
 
それは、「モノ」に頼らすに「幸せ」を生み出す「生き方」です。
「幸せ」を「モノ」に頼ると「お金」が必要となります。
しかし、「お金」を得るために、
一般の人は仕事でたくさんの「時間」を支払わなければなりません。
 
ちょっと、ここで注釈しますが、
企業にとっての「利益」を生み出すための源泉が「お金」だとしたら、
人にとっての「幸せ」を生む出すための源泉は
万人に平等に用意された1日24時間の「時間」です。
ですから「時間」の無駄遣いは、「幸せ」を圧迫しますからご注意を。
「時間」あたりの「幸せ」の産出量が、あなたの「幸せ」生産性です。
生産性とは、経営学用語で、
投じたモノに対してどれだけの価値を生み出せるかという資源の効率性を指します。
 
ですから、
友達と一緒じゃないと「幸せ」な「時間」にできない人、
「お金」を大量に消費しないと「幸せ」になれない人は、
「幸せ」生産性が低い人です。
もっと、私たちに用意された「世界」に興味を持つことで、
今目の前にある「時間」を、「幸せ」な「時間」にすることができると、私は考えます。
 
具体的には、
私はそこらに生きている「雑草」や「鳥」や「動物」や「虫」や「キノコ」という
「生命」に強い興味を持って彼らの生き様を観察し、
彼らの生き様を優しい視線で眺め、その「生命」の美しさに感嘆するだけで、
私の「時間」は「幸せ」になるのです。
また、この「人生」や「世界」への強い興味を基に、
このブログで考察している時も「幸せ」な「時間」となります。
それから、そういった「人生」や「世界」への想いを
「小説」として描き上げた時にも非常に深い「幸せ」を覚えるのです。
 
上記の全ては、有限の「モノ」に頼らすに「幸せ」を生み出しています。
 
このように「幸せ」を得るための「時間」や「モノ」の「コスト」を削減することで、
「スリム」に「スマート」に「幸せ」を生み出すことが、
私の提唱したい新たな「ライフスタイル」なのです。
 
もうそろそろ、「モノ」を売りたいという企業のプロパガンダへの抵抗力をつけましょう。
「幸せ」は、何かに頼って何かを消費して得るものではなく、
自分で「心」と「頭」を使って、「心」と「頭」だけを原資に生み出すものなのです。