「暴食」

「幸せ」について、ずっと考えてきた訳ですが、
その「考察」結果を、実践に活かすことはできていませんでした。
 
そこで前回から実践編として、実際に「幸せ」を手に入れるべく、
「理論」を「行動」に移してみようと考える次第です。
 
さて、「幸せ」になるためには、まずは「苦」を滅する必要があるかと思います。
「苦」を滅するために、
私は知っている様々な思想の中で一番納得感のある「仏教」を参考にしようと考えたのです。
 
「仏教」では「一切皆苦(いっさいかいく)」と言い、
世の中の一切のことは「苦」であると説いています。
多くの人が「喜び」と感じる「快楽」ですら、「苦」の原因となる訳です。
 
すなわち「欲望」にすがって「幸せ」を求めて、一時的に「快楽」を得られたとしても、
その「快楽」の後には必ず「苦」がやってくる。
 
「仏教」の教えによれば、「幸せ」とはつかもうとして得られるものではなく、
手放して初めてやってくるものなのです。
 
さて、じゃあ「欲望」を一つずつ手放していきたいと思います。
私は、この手放す「欲望」として、
キリスト教の「7つの大罪」のフレームワークを使っていくつもりです。
「7つの大罪」とは「傲慢」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「強欲」「暴食」「色欲」。
今日は、「暴食」を手放すことを検討していきます。
 
「暴食」とは、「奪う」ことである。
「考察」を進めて、私はそこに気づきました。
 
「人間」だけでなく全ての「生命」を等しく考えたときに、
「食べる」という行為は、すなわち「命」を「奪う」という行為になるのです。
太古の昔、人は肉を食べるのに狩りで動物を「殺し」ていました。
すなわち、「食べる」ことは「殺す」ことだったのです。
今は、「殺す」ところと「食べる」ところは、あまりにも離れてしまいました。
「肉」を「食べる」という行為が「殺す」ことと結びつかなくなってしまっているのです。
これは、「野菜」や「果物」も同様だと思います。
彼らの体の一部である「細胞」という「命」を食べていることには変わりはないのですから。
 
もちろん、私達も「食べ」なければ生きていけません。
私も自分自身の「生命」を生かすために、
自然の摂理に従いこれからも「食べて」いこうと考える次第です。
 
しかし、「暴食」はいけません。
「暴食」は、己の「快楽」のために、もしくはストレス発散のために、
必要以上に「食べる」行為。すなわち「快楽」で「命」を「殺す」行為なのです。
そう考えれば、「暴食」を止めようという想いが湧いてきます。
 
そもそも「暴食」は、「不幸」を招く行為であることは疑う余地がないでしょう。
「暴食」を続けていけば「病気」の元になりますし、体型等の見た目もよくありません。
また、「暴食」をすれば、「胃腸」が休まる暇がなくなり、
1日1日を生ききる「気力」にも影響が出る訳です。
生きる「気力」は、「幸せ」の重大な要素。
「暴食」をせず、必要最低限の「飲食」に抑えることが重要なのです。
 
という訳で私は、今後「飲食」を極力抑えるようにしようと思います。
具体的には、抜ける食事は抜くということです。
 
え?そんな簡単に「節食」できるのかって?
 
できますとも。
私は、それだけ「幸せ」になりたいのです。
もういい加減「苦しみ」の永久回廊から離脱しようと真剣に考えています。